白露-北京の剣道 (2017年9月7日 晴れ 最高気温 31℃、最低気温 19℃)
中国では、9月1日から新学期が始まります。新学期といえば、日本では“桜の中、ぴかぴかの一年生”という明るいイメージですが、こちらでは“軍訓”という暗い言葉が多くの家庭で囁かれます。これは“軍事訓練”の略語で、8月下旬から9月中下旬にかけて、新入生全員が強制参加させられるものです。中学1年生ならば2日間、高校1年生ならば1~2週間、大学1年生では2~4週間、訓練の期間や場所は、学校により異なります。訓練期間中、高校1年生と大学1年生は、学校が所有する郊外の宿泊施設などに泊まり込み、外出は禁止され、軍人が教官となり、軍隊式の体操や徒歩行進、射撃や軍事知識といったことが教えられ、夜は必ず軍歌を歌い、高校や大学では数十kmの長距離行進もあるそうです。この訓練は、1989年に若者が民主化を要求して起した六四事件を契機に、その年の9月から始まりました。ほとんどが一人っ子で、わがまま放題に育った中国の子供にとって、親から離れ、隔離されたなかでの肉体的にも厳しい生活は、人生の区切り毎の大きな試練に違いありません。
さて、今年、北京日本人会剣道同好会が20周年を迎えました。1997年に、北京に駐在していた剣道愛好者が同好会を作ったわけですが、この会の発足と相前後して、北京で中国人による中国人のための剣道場が設立され、今では、その数は10ヶ所近くにまで増えています。
ある夏の土曜日、このうちの一つの剣道場を訪問しました。ちょうどといいますか、訪問した日は、市内全域に大雨警報が発令され、道場に着く頃には、雹(ひょう)まじりの大雨となりました。びしょぬれになりながら、道場に入りますと、クーラーが効いた快適な体育館の会場に、剣道着を着けた人たちが30名程度集まっています。いつもは100名程度参加するとのことですが、今日は大雨のため3分の1ほどに減っているとのことです。
「礼で始まり、礼で終わる」という日本の道場と全く同じ練習が北京でも行われています。今回は“北京の剣道”と題していますが、そんな大上段に構えたことを紹介するほど、剣道の知識も経験もありませんので、北京の人たちが日本の剣道を学ぶ姿を、写真を中心にさらりと素振り程度お伝えしたいと思います。
こちらは子供のクラスです。5歳から小学校低学年まで参加しています。練習が始まって、直ぐに、一人の子供が恥ずかしそうに、
「先生、おしっこ」
と、訴えていました。まさに幼稚園という感じですが、先生は苦笑交じりにうなずいていました。
こちらは初級クラスで、面などの防具を付けることが許されていません。へっぴり腰の眼鏡のおじさんは、剣道を習いはじめて、半年が経つそうです。
袴一つをとっても、つけ方、外し方、畳み方と、武道の精神が宿っているわけですから、おろそかにしてはいけません。全日本剣道連盟では、剣道に関する見解のなかで、「竹刀は武士の刀です。稽古着、袴は武士の正装であり、単なる運動着ではありません。この精神を学ばずに剣道をすることは、単なる肉体的運動をしていることになってしまいます。剣道の奥深さ、文化性を理解して頂きたいと思います。」と述べています。初級クラスの方々の顔つきを見ると、全剣連がいう崇高な日本人の精神を学ぶというにはほど遠いものがありますが、期待だけは持ってあげたいと思います。
練習の中休みに話を聞いた中級クラスの女性です。彼女も、さきほどのへっぴり腰の眼鏡のおじさんと同じく、剣道を始めて半年だそうです。中国は日本よりも実力主義がはっきりしていて、強ければ、どんどん先に進むようです。剣道を始めたきっかけを聞きましたら、
「日本のテレビドラマを見て興味を持った」
と、教えてくれました。彼女の顔つきをみると、初級クラスと違い、笑顔のなかにも自分自身に対する自信といいますか、武士的な精神が宿り始めていると感じました。
地稽古(じげいこ)という試合形式の練習が始まりました。子供クラスに参加していた7歳の女の子も、この稽古に参加するため、お母さんから面を着けてもらっています。このお母さんに話を聞きました。
「彼女の父親が剣道が好きなので、娘にも習わせています。毎週、剣道、水泳、ダンス、英語、ピアノを習っていますが、9月から小学校に上がりますので、全てを習う時間は無いかもしれません。本人の希望を聞きながら、一つか二つ、辞めることになると思います。」
今の中国の子供は、遊ぶ時間もなく、習い事の連続のようです。もしかすると、それは日本の子供以上にハードなのかもしれません。
試合形式の練習が始まると、防具を付けることができない初級クラスは中休みとなります。すると、初級クラスから高段者の練習会場に、こっそり移動してきた若い女性がいました。“憧れの男性”がいるようです。こちらもこっそり移動して、青春真っ只中の後姿を写真に撮らせてもらいました。
高段者同士の地稽古のひとコマです。この20年間で、北京の剣道も発展し、剣道五、六段といった高段者が成長しています。まるで日中関係のある一面のようです。日中の経済規模を表すGDPは、当初、中国は日本の約4分の1であったものが、今では大きく逆転し、中国は日本の2.2倍以上になっています。
GDP 2000年=日本4.9兆ドル、中国 1.2兆ドル
2016年=日本4.9兆ドル、中国11.2兆ドル
剣道では「間合い」という言葉を使いますが、20年間の日中関係を見ると、この間合いをどのようにとるかが両国にとって大きな課題であると思います。日本では、経済規模の逆転に直面して、隣国である中国の大切さは分かっているが、現実を素直に受け入れられず、大きな戸惑いがある。さらに、2005年の教科書問題に端を発した大規模な反日デモ、2012年の日本政府による尖閣諸島国有化に対して、中国全土で行われた抗議デモと一部暴徒化などの大事件を、日本人は忘れることができない。一方、中国では、今でも戦時中の日本軍が悪辣な敵役となっている映画やテレビドラマが放映され、日本に対するマイナスのイメージが作られ、なにかあれば、それが火を噴きだしかねない。近づき過ぎれば打たれ、離れ過ぎれば竹刀を交えるどころか、話もできません。
そのようななかでも、日本の武士道を学ぶという剣道が中国において地道に広がっていることは喜ばしいことです。剣道はオリンピック種目ではないために、中国政府は、ほとんど関心を示さず、尚且つ、武士とか日本剣が日本軍を連想する恐れもあるために、触れることを許されないものかもしれません。
それでも、中国の有志の方々は剣道を始め、官に頼らず民間だけの力で20年間継続し、次の世代へと教えています。剣道を学ぶ人たちは、日本のアニメ、漫画、テレビドラマなど、そのきっかけは安易なものであったかもしれません。しかし、武士道という日本人の心を理解する中国人が一人でも多く増えることは、これからの日中関係の発展にとって、とても貴重なことであると思います。
北京剣道の更なる発展を心より祈念いたします。
文・写真=北京事務所 谷崎 秀樹
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