【北京の二十四節気】清明-地安門の凧屋-

●清明-地安門の凧屋(2017年4月4日 曇りのち小雨 重度汚染 最高気温 21℃、最低気温 12℃)

中国では、清明の前後を清明節と呼び、祭日となります。しかし、今日はひどい空気汚染で外出も出来ませんでした。この清明節の期間、中国では年に一度の墓参りに行くことが風習となっています。祖先の霊を祀る点は日本と同じですが、日本の墓参りは仏教から由来したものであるのに対して、中国の墓参りは春秋時代の晋の文公(紀元前600年代)というとてつもない昔の人が決めたもので、仏教とは全く関係がありません。

今から百年以上前の清の時代、春の日差しが明るくなる清明のときに、王族、貴族は郊外の墓にお参りしてから凧揚げをして遊んだと言われています。日本で凧揚げと言えば、正月に子供が揚げるものですが、中国では、大人のものです。以前、中国では至るところで凧揚げをする人を見かけました。ほとんどが退職したおじいさんで、ときたま子供をつれた若い男性が揚げていました。10年ほど前までは天安門広場でも沢山凧揚げをしている人がいましたが、今では禁止されています。急速な経済発展のなかで、ゆとりがなくなったためでしょうか、北京では公園などでも、凧揚げをする人を見かけることが少なくなりました。

【北京凧専門店 三石斎】

そういうわけで、今回は北京凧の専門店を紹介します。場所は地安門といいまして、故宮の真北にあり、有名な天安門と故宮を挟んで一対になっています。今は地安門という門はなく、地名だけが残っています。

この地安門の凧屋は伝統的な北京凧の四大流派の一つである曹氏の流れを汲むもので、主人の劉賓さんは三代目、百年以上の歴史があるとのことです。ちなみに、中国では北京、天津、山東省濰坊、江蘇省南通の四都市を中国凧の四大産地と言っています。

【店内。至る所に凧が飾られています】

北京凧の代表的なものは、沙燕(又は京燕)と言われるものです。北京は昔燕州と言われたこともあり、北京にとって燕はとても身近な存在です。今でも大きなビルの林のなかでは判りませんが、故宮に行きますと沢山のツバメに逢うことができます。この身近な存在が空を飛ぶ姿を目指して作られたのが、北京凧であり、その名が沙燕(sha yan)なのです。なぜ“沙”をつけるのかと訊いても、北京の人は誰も答えられません。誰に訊いても、「あの大の字の凧は“沙燕”と言うのだ。百年前から決まっている」と答えが返ってきます。

そうなのです。北京凧の代表である“沙燕”は、大きさは大小様々ですが、形は大の字なのです。この大の字の凧がモンゴル高原から来た風沙に乗って、北京の空を大きく飛ぶのです。

【中央の大の字の形をしたカラフルな凧が沙燕(sha yan)】

その他にも、鷹の形をしたもの、龍の頭で身体が連凧のように連なったもの、福禄寿といった縁起の良い字をあしらったもの、金魚の形で身体が柔らかく動くもの、蝶やトンボの形をしたもの等等、その種類は沢山あります。日本の凧といえば、やっこか長方形の義経くらいのものですが、この店には沢山の種類があり、形もユニークで見ていて楽しくなります。

【本物と見間違う鷹。下にあるのが柔らかく飛ぶ金魚】

店にあるこれらの凧は、空に揚げるものから芸術品として家に飾るものまで、すべてが三代目劉賓さんの手作りです。手作りのものですから当然値段が高くなります。安くても日本円で5,000円、高いものは1万5,000円ほどします。如何に中国が経済発展したからと言って、凧にこの値段を払う人はなかなかいません。それも、大きな公園の入り口などでは、ビニール製の簡単なカイトが300円前後で売っているのです。

空を飛ぶと言えば、今、北京ではドローンが大変な人気です。子供用の5,000円くらいのものから高級なものまで各種あり、同じ金を払うならば、古めかしい凧よりもドローンのほうが良いと思うのは、時代の流れで致し方ないことかもしれません。劉賓さんに聞いても、彼の凧は月に数個売れればよいほうとのことです。

【糸を巻く器具。日本のものは簡単ですが、中国のものは本格的です】

現在、北京で凧を扱う専門店はこの店を含め2、3軒だけになりました。北京には四大流派(哈氏、馬氏、曹氏、金氏)があると言いましたが、曹氏の流れを汲むこの店以外、その他の流派はすべて姿を消しました。

聞くところによると、彼の父上である二代目はすでに高齢で、凧は作っていないとのことです。父子の年齢差を考えると、彼は年老いた父から子供の時より凧作りを学んだはずです。そのため、手先はなるほど器用ですが、職人気質というのでしょうか、客あしらいは素っ気なく、商売上手とはお世辞にも言えません。彼はどちらかと言えば、生きていくのがあまり器用でない人物です。

【劉賓さん家族。赤ちゃんはまだ3ヶ月】

現在、彼の店の反対側で区画整理が始まっており、彼の店もいつ区画整理の対象になるか分からない状況になっています。経営が思わしくないうえに、近い将来、店の強制立ち退きがあるかもしれないのです。

「ついに私も休むことができるかもしれません。」

彼がため息とともに言ったつぶやきは、まるでそれを待ち望んでいるかのように聞こえました。そこには、三代目という重圧から解放される安堵もあるのでしょう。一つの伝統が無くなることは堪らないことですが、当事者にとって時代の流れに逆らうことが如何に大変なことかを考えますと、ひっそりと消えていくことが時代の宿命なのかもしれないと身につまされる思いがしました。

三石斎:北京市西城区地安門西大街甲25号

文・写真=北京事務所 谷崎 秀樹

★本コラムについてはこちらから→【新コラム・北京の二十四節気】-空竹-

★過去掲載分:

春分-新華門の白玉蘭-2017/3/20

啓蟄-通州に北京行政副中心-2017/3/5

雨水-新街口の中国楽器屋-2017/2/18

立春-地壇公園廟会-2017/2/4

大寒-聚宝源(羊肉シャブシャブ)-2017/1/20

小寒-中国最初の映画館-2017/1/5

2016年掲載分