【北京の二十四節気】芒種-地安門の凧屋のその後-

芒種-地安門の凧屋のその後(2017年6月5日 曇りのち小雨 最高気温 29℃、最低気温 15℃)

芒種(ぼうしゅ)になりました。東京ではまもなく梅雨入りの時期ですが、北京では雨がじとじと降り続く梅雨はありません。大陸性気候というのでしょうか、雨が降るときは、スコールのようにドシャ降りになりますが、しばらくするとからりと晴れ上がります。

さて、「清明・2017年4月4日」の項で、“地安門の凧屋”を紹介しました。あれから2ヶ月が過ぎ、凧屋が大きな苦境に立たされています。今回は「凧屋のその後」を紹介します。

上の写真は、今年4月3日に撮影したものです。凧屋三石斎の赤い看板の下、大きな窓が南向きに開かれ、春の日差しが満遍なく入っています。

一方、こちらの写真は、5月27日に撮影しました。看板が取り外され、店は他の店と同じ色に統一されたレンガに覆われました。有るのは、何のへんてつも無い硬いドアと空気と光を入れるための小窓だけです。

なぜ、こんなことになったのでしょうか?

これは、北京市政府が市内全域の違法建築に対して行っている撤去や改修の一環なのです。

ここでいう違法建築とは、これまで北京市内の多くのアパートにあった、1階の空き地を利用して、バラックのような簡単な建物を作り、飲食店などとして営業していたものを指します。また、この凧屋のように、使用目的が住居として登録されている建物に大きな窓を作るなどして営業するもの(中国では自らの所有物件でも使用目的を明確にする必要がある)も含まれます。

北京市政府は、これらの違法建築が耐震や耐久などの安全面の問題、或いは小さな飲食店の騒音や油煙被害などの問題を引き起こしているとして、2014年から検討を始め、今年から本格的にこれらの違法建築の撤去、改修を進めています。

【改修が終わった建物。しぶとく営業を続けています】

この政策は安全配慮や騒音対策など、住民の生活改善に密着したもののように見えますが、北京市政府の最大の目的は、地方出稼ぎ者を一掃することなのです。北京市政府は2020年の市内人口を2,300万人に抑制することを国から命じられています。あと3年を切った現在、市政府としては是が非でもこのノルマを達成しなければなりません(ちなみに、2015年の人口は2,170万人/北京市政府ホームページより)。そこで、目を付けたのが、地方出稼ぎ者が多く住んだり、小さな食堂などとして収入を得ている違法建築です。これらを壊したり、壁を作ったりして、彼らの収入を断つことによって、自然と彼らが田舎に帰ることを期待しているのです。「自然と」とは、彼らが自主的に帰郷するという意味ですから、市政府は彼らの帰郷と一切関係ない、つまり一銭の補償金も支払う必要がないということになります。それどころか、市政府は改修費用を違反住民に請求することまで考えています。

凧屋の近くの道には、一通の告示が張ってありました。この告示は、2017年1月11日付けで、改修の主旨と6つの法や条例などに基づき、2月11日までに自らが改修すべき。期限を過ぎれば、一切の損失と法的責任は違反住民が負うと書いてあります。

【凧屋近くの工事現場】

凧屋の工事は5月25日から始まり、2日間で終わりました。工事に来たのは、一見して分かる地方出稼ぎ労働者2名だけで、責任者のような人はどこにもいません。清代から続く曹氏流北京凧として、国から国家級非物質文化遺産に認定され、13年間この地で営業していきたにもかかわらず、一通の告示だけで、壁が作られたのです。

主人の劉賓さんは、声をかけるのも憚れるほど怒っています。外観が変わっても店を続けていますが、ときおり来る客は、恐ろしい顔の主人を見ると、皆ほうほうのていで帰ってしまいます。彼の怒りの原因は枚挙にいとまがありません。自分が地方出稼ぎ者ではなく、生粋の北京人であるにも関わらず、壁を作られたこと。13年間も営業し、国から文化遺産として認定されたにも関わらず、壁を作られたこと。経済的な補償もなく、壁を作られたこと。更には、改修費用を請求されることなどなど。しかし、最大の怒りは「自分の意見(或いは怒り)を言う場所がない」ということだと思います。

政府は上から命じされたノルマを達成するために、上を見て、政策を作り、法律を作り、実施します。その間、住民への配慮というのはほとんどないと思います。中国ではこのような問題のときに、劉賓さんなどの当事者が政策を作る人や法律を作る人(つまり権限を持つ偉い人)に会えることは滅多にありません。直接実施(工事)するのは、地方出稼ぎ者ですから、彼らに文句を言っても、暖簾に腕押しです。中国で仕事をして思うことは、官僚機構が巧緻といってよいほど階層的に構築されているため、だれが一体本当の責任者なのか分からないことがあることです。何か問題が発生すると、偉い人は奥に引っ込み、目の前に現れるのは下っ端ばかりで、途方に暮れることもあります。

【喫茶店も容赦なくブロックに覆われます】

北京市政府は、今年(2017年)だけで市内全域1万6千ヶ所の改修を行う予定です。これにより、約20万人が影響を受けると報道されています。日本のように、住民感情を配慮して、説明会を何度も開き、理解を得るように努力するなどといった生ぬるいことはやってられないのです。

ある人が豪語していました。

「政府はやると決めたらブルドーザーで木々を一気に押し倒すように違反建築を改修する。影響を受ける20万人は、北京市全体の人口2,000万人のたったの1%。『小を捨て、大を生かす』、これこそが中国の特色ある社会主義なのだ。」

文・写真=北京事務所 谷崎 秀樹