【北京の二十四節気】小満-牛街清真寺-

小満-牛街清真寺(2017年5月21日 曇り 最高気温 31℃、最低気温 18℃)

先週(5月14、15日)、北京では「一帯一路国際協力ハイレベルフォーラム」が、29カ国の国家首脳をはじめとする約1,500名が参加し、開催されました。習近平主席は開幕式で、シルクロード基金など金融機関への増資や発展途上国への援助など、総額8,500億元(約14兆5千億円)の協力を表明しました。

しかし、北京の庶民は会期中とその前後を含めて数日に亘り断続的に実施された交通規制に苛立ち、巨額の援助と聞いても、「自分とは関係ない」とそっぽを向いています。昔の中国は上から下まで、新聞に書いてあるとおりのことを言っていましたが、今はその制約が無くなったようです。素直な庶民を見ていると、日本で久しく言われている政治への無関心と同じ現象が北京でも多くなり、指導層と庶民との距離がますます離れているように感じます。

【牛街礼拝寺の大門】

さて、今回は回族(イスラム教を信じる少数民族)が集まる街のモスク“牛街礼拝寺”を紹介します。

回族は不思議な民族です。7世紀中葉、イスラム教徒のペルシャ人とアラブ人が初めてその足跡を中国に残し、13~14世紀、モンゴルが一大帝国を築いた際には、100万人以上のムスリム(イスラム教徒)が西域から中国に来たと言われています。この大量のムスリムのうち中国に居ついた人たちが回族の祖先であり、連綿と血統を保ってきています。現在、回族は中国のほとんどの地域に居住し、人口は約981万人(2013年のデータ)になっています。

【モスクにいたエキゾチックな顔立ちの女の子】

中国は、民族や国を呑み込むのが得意です。歴史を見れば分かるとおり、中国周辺の少数民族は如何に力が強くとも、結局は漢族のなかに呑み込まれ、埋没してしまいます(「漢族」の定義も難しいですが…)。中国最後の王朝である清(1644~1911年)は、満州族の征服国家で260年間余続きましたが、その間、自国語である満州語はほとんど忘れ去られ、圧倒的多数の漢族のなかに吸い込まれていきました。まるでアリ地獄のようです。

李氏朝鮮(1392~1910年)は、中国で元が滅び、明になってから成立し、500年以上続いた国ですが、中国からの経済侵略を恐れ、貨幣を捨て、物々交換を主とする原始的な生活に切り替えました。中国に呑み込まれないように、自国の発展を捨て、やっとのことで国を保ったのです。日本は海に囲まれていて、本当に良かったと思います。

このように、中国周辺の少数民族は、ある民族は滅び、ある民族は自身を保持するために汲々としている一方で、回族は、逆に中国の懐に入り込み、営々と子孫を残してきました。そのため、回族は不思議な民族と申し上げたのです。

回族が中国というアリ地獄のなかでも、それに呑み込まれることなく民族としての誇りを持ってこれたのは、イスラム教という戒律の厳しい宗教があったためであることは明白です。

【孫の手を引いて礼拝に訪れたムスリム。穏やかな笑顔が印象的でした】

“牛街礼拝寺”は、契丹人(キタイ人)の遼(916~1125年)が満州から北京を含めた華北地域を占領していた996年に建立されました(この契丹人も歴史の舞台から消えました)。この礼拝寺は、遼の時代から千年以上の歴史を持ち、北京で最古、最大のモスクです。建物はイスラム教というよりは、木の柱の上に黒い瓦が載っていて中国色が色濃く出ています。

【牛街礼拝寺にある沐浴場で礼拝前に身を清める人たち】

イスラム教では金曜日が休日で、多くの人が礼拝に訪れます。回族は中国語が母国語になっていますが、互いの挨拶だけはアラビア語で行います。礼拝の前には自らの体を清めます。そのため、この礼拝寺では、沐浴場(中国語=滌濾処 di lű chu)が建てられ、ムスリムは順番に手や足を洗います。

【急いで本堂に入るムスリムたち】

何時何分から何を始めるといったことは、大雑把にしか決まっていないようです。早く本堂に入る人がいる一方で、礼拝が始まってから急いで入る人や、終わり頃に悠然と来る人など、とてもアバウトです。ここら辺が中国風といえば、中国風なのかもしれません。

【礼拝の前、説教が長く、少し飽きてきました】

この間、アーホン(中国語=阿訇 a hong/回教でのイスラム教の学者、宗教事務を取り扱う人の意。イスラム教では僧侶や牧師はいない)の説教がマイクを通じて、モスク中に流れます。まず、アラビア語でコーランの一節を言い、それを中国語に訳して、教えさとします。教えは最初は難しいものではなく、「酒を飲むな、タバコを吸うな」と言った穏やかなものでしたが、段々興が乗ってきたのでしょうか、自分が知っているアラビア語が総動員され、中国語なのか、アラビア語なのか、なにを言っているのかしゃべっている当人も分からなくなってきます。日中の暑い最中に、庭で礼拝を待って正座しているムスリムたちは嫌気がさし、ほとんど聞いていません。足を崩したり、自分の手を見たり、携帯をいじったりしています。

やっと始まった礼拝は、立礼、平伏、拝礼を数回繰り返します。牛街礼拝寺の一角には、清真寺女寺もあり、そこには女性用の本堂や沐浴室もあります。

【やっと礼拝です】

「ムスリムは漢族の家に行っても、一杯の水も飲まない」と言われています。ご存知のとおり、イスラム教では豚肉がタブーです。そのため、漢族がいつも食べる豚肉を盛った皿、豚肉を食べた口で飲んだコップは、ムスリムにとっては汚(けが)らわしいものなのです。そのため、漢族の家でムスリムを招待するときは新しい皿やコップをわざわざ買うそうです。

ユーラシア大陸の東端の一角で、宗教が異なる民族が隣同士で暮らしています。それぞれの民族は、互いに干渉することなく、互いの家を訪ねることもほとんどなく、生活しています。その微妙な距離感は長い年月のなかで培われたものなのでしょう。ただ、回族は圧倒的多数を占める漢族のなかで生き延びるために、柔軟性という智恵を備えているようです。

【こころよく写真を撮らせてくれたムスリム。彼の瞳の色は?】

あるムスリムがこっそり教えてくれました。

「私の父は生粋のムスリムですが、共産党の幹部でもあります。中国で共産党の幹部が酒を飲まないで、仕事が出来ますか?出来ませんよね。父もよく飲んでいました。それから、我々回族の瞳は黄色かかっていますので、注意して見てください。」

人の瞳をじろじろ見ることは出来ませんが、あなたの瞳は何色ですか?もしかして黄色ですか?

【礼拝が終わり、モスクを出ると、複数の警官が立っているのにビックリ。中国政府は少数民族の保護を大きな政策に掲げている一方、集会などの人が集まることを大変警戒しています】