【中国あれこれ】『第七章 現代中国への道 ⑥ タクラマカン砂漠』
1987年夏、新疆ウイグル自治区庫車(クチャ)、我々砂漠専用車実験チームは石油工業部(現中国石油天然気総公司)の招待所でタクラマカン砂漠に入る為の許可書発行を待っていた。クチャに到着してから既に三日が過ぎていた。気温は4…
1987年夏、新疆ウイグル自治区庫車(クチャ)、我々砂漠専用車実験チームは石油工業部(現中国石油天然気総公司)の招待所でタクラマカン砂漠に入る為の許可書発行を待っていた。クチャに到着してから既に三日が過ぎていた。気温は4…
1986年6月、梅雨のない東北地方は晴天だった。未明の早朝に北京を出発した列車は昼過ぎに遼寧省叶柏寿駅に到着した。当時の列車は時間調整のために時に数十分停車する。我々はゆっくりと下車の準備をした。何気なく車窓の外を見ると…
中国の自動車産業は1953年、第1次五か年計画開始と共に旧ソ連の援助によって,長春第一汽車製造廠(現第一汽車集団公司)の建設から始まった。1980年代になると中国は文化大革命による産業の遅れを取り戻すべく、自動車産業にお…
1987年、西安に出張した時のことである。向ソ一辺倒時代の1950年代に建てられた西安人民大厦に宿を取った。当時はまだ外資系のホテルはほとんどなく、外国人が泊まるホテルとしては代表格だった。旧ソ連にビル建設技術を学んで建…
1988年2月、ウルムチの冬は灼熱の夏が恋しくなるほどの極寒を感じさせた。現在ほど観光地化されていなかったウルムチは大半がウイグル族で、人種の違うまるで異国であった。私は、新疆機電設備輸出入公司(機電公司)とのKD(ノッ…
南京の夏の暑さは過去に経験したことのないものだった。私は他の留学生の友人と三人で明朝時代(1382年)に建てられた時を知らせる「鼓楼」の丘を歩いていた。上はタンクトップ、下は持っていたジーンズを膝上で切り取って短パンにし…
1979年7月、炎天下の上海虹橋空港は駐機している飛行機の数も少なく、タラップを降りると空港係官らしき人がここで待てと拡声器で乗客に伝えた。暫くすると飛行機の腹の貨物室が開き、ベルトコンベアを搭載した車両が飛行機に横付け…