【多余的話】『戦争と女と男』

 「暑さが続き、新聞やテレビで戦争報道が絶えず、心身が消耗する、その上に読書会で戦争を描いた小説を無理に読まなくても良いのではないか?」
 8月第4金曜日の定例読書会の冒頭、長年続けて参加されている方から8月の戦争関連の課題図書についてのご意見があった。
 世話人の一人としてどのように対応すべきか、少し考えてから「たしかに暑さも戦さも続いています。昨秋に2026年度課題図書についてアンケートを実施して古今東西、有名無名の関係なく選んでいただきました。ただ、8月だけは戦争を題材にした作品を選ぶという読書会創設時からの方針を引き継ぎました。今日の提案については来年度の図書選定時に協議させていただきます。」と先送りをして進めた。
 提案されたベテラン会員も過去の経緯を分った上での発言である。戦争関連の作品を興味本位や惰性で選ぶべきではない、昨秋以降も世界の戦争は増えるばかり、という問題意識から注意を喚起されたと思う。またこの方針を定めた50年前の「戦後」意識が濃密であった時代に比べて現状はどうか?という焦燥感もあったかも知れない。

 今年8月の課題図書候補は、『戦争は女の顔をしていない』(スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチによるノンフィクション。第二次世界大戦中に、ソ連軍に志願従軍した女性たち、看護師、狙撃手、洗濯や炊事を担った人々へ戦後世代の作者によるインタビューを基に構成されている。作者の母国ベラルーシでは公開できず、ゴルバチョフの情報公開=グラスノスチにより日の目を見た。その後ノーベル文学書受賞)だったが会員分の冊数が揃わず断念。第二候補だった『同志少女よ、敵を撃て!』を選んだ。逢坂冬馬のデビュー作。30歳代の作者は『戦争は女の顔をしていない』に啓発を受け、記録に残る実在者も含めた女性の狙撃兵と看護師を一小隊に配して小説に仕立てていた。
 読書会の冒頭から、ソ連赤軍におけるロシア人・ウクライナ人・カザフ人らの立ち位置についての考察をはじめ多くの発言が続いた。女性兵士が前線で武器を持って戦っていたのはソ連の赤軍のほかに思い浮かばない?赤軍の徴兵制度は女性を対象とせず、女性は志願兵だけだった?などの基礎的な確認が進んだ。小説では、志願兵になるしか生きていけない境遇に陥った女性の背景と意識を丁寧に描いており、女性の存在についての考察もキメ細かく説得力を感じた。また終戦後の社会での狙撃兵出身の女性たちの生き辛さについても繊細な筆致で綴られていた。
 巻末に作者からロシア文学研究者の奈倉有里先生への「謝辞」がさらりと書かれており、あとでその奈倉先生が作者の実の姉であることが分かり、作品に流れる女性からの視線の由来も共有した。

 第二次大戦に従軍したワイエス家の長男のナサニエル・ワイエスは1945年に除隊し、故郷のペンシルベニアへの帰還の途上にて、家父長的存在だった父親N.C.ワイエス(「宝島」「ロビンフッド」の挿絵画家として高名)とナサニエルの息子(3歳)が踏切での自動車事故で急死したという不幸な報せが届いた。
 次男のアンドリュー・ワイエスにも衝撃的な出来事であり、元々内向的だった作品の傾向が更に強まった。この時期の自画像も印象的だが、今回は到来していない『焼き栗』はロードサイドに立ち、いつ来るか分からない客の車を待ち続ける若者と焼き栗用のドラム缶を描くことで若者の貧しさや孤独を表現している、と思う。
 ワイエスはメイン州のオルソン・ハウス(主に漁師用の旅館、避難先として利用された3階建て。旅館の家付き娘と北欧からの漁師が結婚し、一女三男を授かった。長じてからは、姉の病もあり、弟は介護とロブスター漁師・ブルーベリー栽培者として苦しい生活を支えた)の2階をアトリエに使わせて貰い、車椅子に頼らない姉の自立心と頑なさを作品に残した。そして建物が30年に渡って老朽化する過程を克明に作品化した。
 第二次大戦後、凄まじい米国の経済発展と都市化の波の中で、ジャクソン・ポロックに代表される抽象表現主義やアンディ・ウォーホールらのポップアートが流行した。その流れとは対極にある「古い時代」「経済的な豊かさとは無縁の生活」「弱者への眼差し」を継続してモチーフにしたワイエスの作品を、保守的な地方主義或いは懐古趣味として評価しない向きもあるようだ。
 NYのMoMAも一応「国民画家」の作品として、テンペラ画の〈クリスティーナの世界〉を収蔵しているものの、その扱いはお世辞にも大切にしているとは思えない。吹き曝しの通路の壁に展示されていたのを見たときに残念な思いをした。
 今年、美術史家の高橋秀治氏の企画によりワイエス没後初めての特別展が東京都美術館・豊田市美術館で多くの新旧ワイエスファンを集め、10月から大阪のあべのハルカス美術館で開催される。
第3次アンドリュー・ワイエスブームと称して過言ではないだろう。
 兄ナサニエル・ワイエスは兄弟姉妹のなかで一人だけ美術の世界には進まなかった。大手化学メーカーのデュポン社の発明研究者としてPETの材料特許を取得するなど最高技術職となる。1986年にプラスティック業界殿堂入りしている。
 1939年に入隊を志願するも身体虚弱を理由に不合格となった失意のアンドリューもその兄のナサニエルも戦争の影響を受け、それが戦後の生き方にも反映しているようだ。兄弟二人とも最終的にそれぞれの分野で「殿堂」入りしている。
 一方、赤軍の有能な女性狙撃兵だった二人の英雄は、村の外れにひっそりと暮らし、子供たちから「魔女」と呼ばれていたという。

井上 邦久(2026年9月)