7月26日(日)、福井のハピリンホール能舞台で、「ようこそ!能の世界へ」が今年も開催されました。本イベントは、能に日頃親しみのない方でも楽しめる内容で、日本の伝統文化を身近に感じ、美しい謡や囃子、能面や装束、そして能舞台ならではの幻想的な世界を間近で体感する毎年人気の企画です。今年の演目は、『平家物語』を題材とした「船弁慶(ふなべんけい)」で、数ある能の中でも人気の高い曲です。それには、以下のような理由があります。
・ドラマチックでわかりやすいストーリー
源義経と静御前の哀切な別れを描いた前半と、海上で平知盛の怨霊が襲いかかってくる後半という、静と動のコントラストが非常に明確です。能は「よくわからない」と思われがちですが、予備知識が少なくても設定状況が理解しやすく、観客を引き込みます。
・ 前シテと後シテの劇的な変化
主役(シテ)は、前半では優美で哀愁漂う静御前、後半では猛々しく恐ろしい平知盛の怨霊を演じます。同一演者がまったく異なる二つのキャラクターを演じ分けるため、演者の技量が問われ、見応えがあります。
・ ダイナミックなアクション
後半の知盛の怨霊が薙刀を振り回して義経に斬りかかり、それを弁慶が数珠を揉んで祈祷の力で退散させる場面は、能の中でも有名な立ち回りシーンです。また、舞台上に船の作り物が登場し、船頭が激しい波濤を表現する演技も見どころです。
以上の様に「船弁慶」は、エンターテイメント性の高い曲ですが、私自身にとっても、かなり思い入れがあります。私の能との出会いは、金沢大学宝生会です。能楽五流(観世、宝生、金春、金剛、喜多)の中でも、宝生流は加賀百万石前田家のお殿様の庇護を受けたので、金沢は加賀宝生として有名です。金沢大学宝生会は、当時、全国学生宝生流能楽連盟の中でも大所帯で、自演能は昭和47年からの歴史があります。4年生になると、稽古の集大成として能を一曲演ずるのが慣例です。私が4年生の時の自演能が、能「葛城(かづらき)」と「船弁慶」でした。私は「葛城」の大鼓を勤めましたが、同級生の中には「船弁慶」のシテ、狂言方、地謡を勤める者もいました。稽古4年目で能を演じられたことは学生への破格の優遇でした。学生としては「身の丈」を越えた難曲を恥ずかしくない舞台として勤めるために、プロの能楽師のダメ出しと正座の痛みに耐えて稽古を積んだ青春の日々。そして昭和57年1月の本番で能を演じ終わった後の清々しい達成感と打ち上げの最高の美酒は生涯忘れられないものとなっています。
さて、今回は、私にとってもそんな特別な曲「船弁慶」と中国との関連性がテーマです。以前本稿で、「中国と能楽」について以下の通り書きました。
・能楽の世界では、中国から題材をとった曲を「唐物(からもの)」があること。
・中国を舞台に、中国の皇帝やお妃、神仙や妖精、英雄たちの物語を脚色したものなど多彩なバリエーションがあること。
・宝生流現行曲では、「鶴亀」、「西王母」、「芭蕉」、「楊貴妃」、「天鼓」、「昭君」、「石橋」、「咸陽宮」、「項羽」、「三笑」、「張良」、「枕慈童」、「邯鄲」、「皇帝」、「猩々」などがあり、他に日本が舞台であるが中国関係の人物が主役となる「唐船」、「是界」があること。
・これら「唐物」だけではなく、中国の故事来歴のエピソードや、さらには有名な漢詩も多くの謡曲の中に取り入れられており、昔から日本人は中国文化に親しみ、多くを学んで来たこと。
・能楽にかくも多くの中国のエピソードが取り入れられていることは、中国文化を学ぶことが日本人の教養の一部として自然であったということ。
「船弁慶」は「唐物」でこそありませんが、中国の有名な故事が曲の重要な構成要素になっており、極めて味わい深いことを今回ご紹介したいと思います。
「船弁慶」の前半で源義経が、兄頼朝の不信を買って都を追われ、摂津大物浦(今の兵庫県尼崎市)から西国へと舟を出そうとする緊迫した場面。お供してきた愛妾静御前(前シテ)は、義経に対して「伝え聞く陶朱公は勾銭を伴い~」と謡い、その後に地謡が「会稽山に籠りいて、種々の知略をめぐらし。(中略)功成り名遂げて身退くは天の道とこころえて、小舟に棹さして五湖の煙濤を楽しむ」と謡います。これは、中国の歴史に名をはせ、2500年程前の春秋時代に越の王「勾銭」を呉との戦いで勝利に導いた名軍師であり、後に商売の神様となる「陶朱公(とうしゅこう)」こと「范蠡(はんれい)」の故事なのです。ところで、初めて見る「蠡」の字が個人的には、「ムズムズ」した感じなのですが、意味は字面でイメージできる「虫が木を食い荒らす」意味と瓢箪を割った器(ひさご)や法螺貝の意味もあり、「蠡測(れいそく):法螺貝で海水を汲んで測ること、転じて小知で大事を測るあさはかなこと」という言葉もあるそうです。
「陶朱公」(越を去って「范蠡」を改名)は、越王「勾践」を助けて宿敵の呉を滅ぼした名軍師でありながら、勝利の絶頂でその地位をあっさりと捨てます。その後、商人に身を転じて巨万の富を築き、中国人に聞いたところ、商売をする人には、「商売の神様(范蠡財神)」して広く知られているそうです。しかし、私は不勉強にも昨年までこの名前を聞いたことがありませんでした。初めてその名前を聞いたのが、昨年のNHK大河ドラマ『べらぼう』です。主人公の「蔦屋重三郎」は、後に妻になる「てい」に「陶朱公のように移り住んだ土地を富栄えさせる才覚がある」と言われ、それならいっそのこと「陶朱公の妻になるのはどうですか」と「てい」にプロポーズする場面がありました。これはあくまでドラマですが、史実としても、「蔦屋重三郎」の墓碑銘に「陶朱公のように富を蓄えた」と刻まれているそうです。この時は単なる中国人の名前ということで気に留めなかったのですが、今回改めて調べてみると、とんでもないビックネームでした。司馬遷の『史記』に始まり、『平家物語』や『源平盛衰記』から井原西鶴の『日本永代蔵』、戦前の文部省唱歌までにその故事が引用されています。また、何より日頃我々が使っている四文字熟語の「呉越同舟」や「臥薪嘗胆」が中国春秋戦国時代の呉と越の戦いの中で生まれ、「陶朱公」が関連しています。
今回なぜ、能「船弁慶」の中に、「陶朱公」の故事が出てきたのか。「陶朱公(范蠡)」は越を勝利に導いた後、「狡兎死して走狗烹られ、高鳥尽きて良弓蔵(かく)る」(狡賢い兎が死ねば猟犬は煮て食われてしまい、飛ぶ鳥がいなくなれば良い弓は仕舞われてしまう)と悟り、さっさと国を去りました。この「大名(大きな名声や地位)の下には久しく居るべからず」という処世術は、権力を極めすぎて自滅していく平家一門や、功績を上げながらも兄頼朝に追われる義経の悲劇と対比され、「いかに退き時が難しいか」を諭す教訓になっています。日本の伝統芸能に中に深く静かに息づく「陶朱公」の物語は、源義経、静御前、武蔵坊弁慶らの『平家物語』のボーナストラックとして、日中に跨って出処進退の難しさについて教訓を与えてくれているのです。
加えて「陶朱公」は、屈指の軍師として政治・軍事の世界で功を奏したのち、商売への道へと華麗なる転身(キャリアチェンジ)を遂げた人物でもあります。ビジネスの世界で絶大な尊敬を集めたその波乱に満ちた生涯は、現代で言う「個人のキャリア自律」や「ライフステージに応じた柔軟なキャリア形成」を体現した傑出のモデルと言えるでしょう。また、前回のクランボルツ教授による「計画的偶発性理論」の視点を重ね合わせれば、「陶朱公」が手にした成功と幸運は、起こるべくして起きた必然であったとすら感じられます。
「陶朱公」については、「商売の神様(財神)」としても、現代の「経営の神様ドラッカー」の様に、数々の知恵が今に伝承されています。ここでは詳細は割愛しますので、興味のある方はぜひ一度検索をしてみてください。その教えの中には、2000年以上の時を超えて近江商人の「三方よし」など、日本の商業道徳の基礎となった共通項も見られます。ここでもまた、国境を越えた「不易流行」を感じずにはいられません。
今回も能「船弁慶」を起点に、思いがけず中国では有名でも、私が全く知らなかった故事来歴を学ぶことになりました。今年の夏、日中は耐えがたい酷暑が続いています。暑さを逃れ、クールダウンした能楽堂の中で、両岸を隔てる荒波を鎮めた「弁慶」の祈りの力と、海を渡った「陶朱公」の知恵に思いを馳せるのもまた一興ではないでしょうか。

「ようこそ! 能の世界へ」チラシより

大橋祐之(2026年7月)
