何処からともなく金木犀の香りが流れて来る季節になった。この香りは中国の桂林での30歳前後の日々を呼び起してくれる。桂林の所在する広西壮族自治区は絶景とともに各種鉱物の産地であった。
桂林市内からマイクロバスで山岳地帯を数時間かけて分け入った龍勝地区にタルク(滑石)の処女鉱が発見され、タルク加工企業と中国に強いとされていた日本商社が手を組んで、現地での製品開発を補償貿易の条件にした鉱石の長期独占契約を締結した。1980年代の初頭のことである。世界的なベビーパウダーの米国メーカーJ&J社もプロジェクトに参画し、桂林をベースキャンプに度々鉱区へ通った。この顛末についてはリーダーのタルク企業の常務を中心にした『吾輩』と題した追悼文を記したことがある。
J&J本社の研究グループやJ&J日本の経営者が米国式のビジネススタイルにこだわる中で、抱擁力の大きい常務が現実的な解決策を工夫し、駆け出しの商社員がそれらを何とか咀嚼した上で中国側に通訳し、接点や解を引き出すという交渉が続いた。
米国人博士が山の子供達への土産にゴム風船を配り、日本からは電気製品を土産にした。当時米国が圧倒的な商品力を誇示しており、日本の管理技術もすでに高い水準だった。しかし双方とも残念ながら日本商社を介在しないと中国の山奥では生活もビジネスも不便だという大人の判断をされ、三すくみ状態で共存共栄を目指していた。しかし長期的に考えれば、本当の強者は大きな鉱区に良質の原石を保有する中国であることを口には出さないものの、中国人も含めて誰もが良く分かっていた。
金木犀にちなんだosumanthusブランド(桂花牌)創業時の実に牧歌的な日米中の協力関係を体験的に知っている人は、今ではJ&J日本の品質管理責任者だけになってしまった。それから40年余り、過去の郷愁に倚りかからずに、現実の世界を見ることに努めている。
そんなときに、「米中同盟」という言葉が突然メディアに流れた。日本ではお座なりの背景分析で、危機意識を増幅しているようだ。現実離れしたこの言葉について考えてみた。
第二次大戦勃発直後の1941年12月9日に国民政府が林森主席名で発した対日宣戦布告を行い連合国の仲間入りをした。それを米国と中国が「同盟」関係になったとして、米中両国の指導者が持ち出したのであろうか?(中日之间已完全处于战争状态,但国民政府仅发表了《自卫抗战声明书》,并未正式对日宣战。1941年12月7日,日本突袭珍珠港,太平洋战争爆发。1941年12月9日,国民政府主席林森发布《中华民国政府对日宣战布告》:百度百科。)
それより早くフライング・タイガース(飛虎隊)と称した米国人退役軍人らが、ビルマや雲南を拠点にして援蒋ルートや首都重慶を防衛するため日本軍に対抗した義勇軍活動を「米中同盟」の先駆けとして誇示したようでもある。
いずれも事実関係としては知っていたが、米中関係の歴史のなかで大きな扱いをされたことはなかったと思う。
当然ながら米中関係は第二次大戦期に始まったものではない。
「1882年から、第二次世界大戦中に突如、米中が同盟国となって、排華法が撤廃される1943年までの約60年間は、在米中国人の苦難と喪失の時代であり暗黒時代であったと位置づけられてきた」との引用を知ったのは、『アメリカ合衆国と中国人移民~歴史のなかの「移民国家」アメリカ~』貴堂嘉之(名古屋大学出版会)を夏から拾い読みをしている過程であった。
同書の第1章表Ⅰ-1によれば、中国珠江デルタ地域から米国への移民が急増したのは1849年のカリフォルニアでの金発見(ゴールドラッシュ)時期の4万人、次に渡航が合法化された1868年頃から山岳部の大陸横断鉄道建設の低廉な労働力として年間2万人弱が入国している。この時期から米国における「中国人問題」は政争化している。帰化を認めず選挙権も与えない中国人移民を排斥した急先鋒の中心は、それまで差別されてきたアイルランド系移民であり、「排斥されていた者が排斥する側に回る、差別・抑圧の負の連鎖」を批判する挿絵が掲載されている(挿絵4-4、4-5など)。
排華法により中国人の移民が停止され、帰化不能外国人として権利剥奪された在米中国人の数は10万人余りであり、全人口に占める比率は僅かであった。それまでのアイルランド系、アフリカ系の移民に代わるスケープゴートとして扱われたようだ。
1941年の真珠湾(珍珠港)への日本の急襲は、米国と中国を突如「同盟」関係にした。「同盟」国を排斥するわけにはいかず、排華法は取り下げられている。そんな過去の横暴と暗黒時代の屈辱を知ってか知らずか、たとえリップサービスにしても、新たな「同盟」が口にされたことに驚いている。
10月のセミナー例会では「トランプだけでないアメリカ」と題して、画家ワイエスの生涯と作品を通してアメリカを語っていただく。
『アメリカ合衆国と中国人移民』も講師との会話で教示いただき、豊田市美術館のミュージアムショップで入手した。米国を知ることで中国を知り、中国を知ることで米国を知る機会にしたい。
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井上 邦久(2026年10月)
