【多余的話】『北京春節』

先月は『梅兄弟』と題して150年前の「開花した梅」「萎れた梅」に触れた。今月は寒の底にある北京での春節について綴りたい。

これまで体験した北京での春節のなかで、最も牧歌的で、味わい深かったのは1990年代初頭の春節だった。1989年の暮れに、青島事務所所長と北京の化学品担当の兼務職に就き、毎週夜行寝台列車で往来していた。第二次中国ブームが急速冷凍し、来訪者が大幅に減った頃に赴任したのは幸運だった。或る部門の駐在員は業務報告に「例の理由で出張者はゼロ、商いも閑散」と繰り返していたが、我が方は、まず兼務によって要員数を減らすことでコストダウン。

期待値がマイナスの状態なので、少しでも新規開拓ができれば純増になると勝手に考えた。(後にリーマンショックの渦中に赴任した時も「期待値」が限りなく低かったので、「純増」印象は高かった。)

出張者の代わりに、本社から中国好き・旅行好き・お喋り好きの三人組が春節に合わせて北京へ遊びと慰問に来てくれた。大晦日の夜、乱れ打ちされる爆竹と花火の煙にむせながら細い胡同を歩いた。日付が変ると家々から「新年快楽!」の声が響き、「狂乱化」した爆竹攻撃から避難したホテルでお祝いの水餃子の接待を受けた。

お祭り会場の廟会や白菜を山積みした市場をハシゴするなかで、オーウェン・ラティモアの『中国』(岩波新書)に描かれた米国と中国に共通する農業祭、「市」や「Fair」の印象を思い起こした。

その頃はまだ対外開放・経済改革政策も緒についたばかりで、新しい事物の流行は有るには有ったものの、1971年に初めて訪れた時の北京の印象と比べてさほど大きな違いはなかった、と思う。

2013年の印象は明解だ。年初来の空気汚染は深刻であり、米国の大使館・領事館が公開する各地の大気観測データを追いかけていた。北京に降る雪は灰色で、積もった雪は黒い塊になっている街路を歩くと身体だけでなく心まで冷えた。そんな重い日々が続く中、唐突にPM2.5という専門用語を知らされ、それまで眼にも口にも無縁だった「雾霾」という文字が紙面に現れた。南方からの新聞報道規制の問題化と全く同時期に環境汚染の詳しいデータが公開されたことに驚いた。年越しの人気番組「晩会」を足裏マッサージ屋で眺めながら、ウトウトしていたら、地鳴りのような爆発音と薄い屋根を叩くような衝撃音で目が覚めた。旭化成の延岡の化薬工場で体験して以来の爆発音や衝撃音であった。爆竹と花火の凄まじい迫力を北京の真ん中で体験することは当分ないだろう。早く生まれて良かった。

昨年『すばる 6月号』に掲載され、2023年12月に単行本が出版された『パッキパキ北京』を読んだ。2022年12月から2023年春節明けまでの北京が舞台。京都紫野高校生だった綿矢りさの新作。20歳で芥川賞を受賞し、村上龍の記録を抜いた新星という文芸春秋のキャンペーンには乗らなかったが、それから20年が過ぎた。

20歳年上の「配慮の行き届いた回りくどい言葉を使うのが丁寧で上品だと思っている節のある」夫は北京赴任直後にコロナ禍に遭遇して3年、「私は物事の本質を見抜くので最短で真理にたどり着く」とうそぶく再婚相手の新妻の為に家族帯同ビザを入手して冬の北京に来てもらったという設定。北京には直接入れず、規定の10日間の隔離期間は青島のリゾートホテルを予約。急遽短縮されたとはいえ、広い部屋から一歩も出られず、PCR検査漬の毎日を8日間過ごす。唯一の交流は「大白(da bai)さん」、写真では宇宙服のように見えるが、「手づくり感満載で白いビニールをテープで繋ぎ合せたもので全身」を覆った検査員とはスマホ翻訳機能を使って用を足し、男も女もいてほとんど二十代前半に見えた、と観察している。青島に夫の秘書が出迎えに来た日はクリスマスイブだった。夫とスマホ画面越しで「中国で今日も仕事をしているのってあなたくらいでしょ」「ライバル企業が休んでいる間に、今年の利益のマイナスを挽回できるメリットもある」最初冗談かと思ったけど夫の表情は本気だった、と続く。

約3年ぶりで再会した北京でも特段の感動的なシーンはなく、夫は仕事、新妻は早速「走出去(お出かけ)」、世界遺産等には興味はなく、SKP(外資系ブランドがひしめく巨大ショッピングビル)へ。実用品は陶宝ネット通販で買い、一度検索すると該当商品が無限に出てくる、中国ブランドがめずらしくて、気付けば何時間も中毒のように閲覧し続けていた・・・簡体字にぶつかっても「嫌いではなかった、文字一つ一つがヨガのポーズを決めているように見える、どこか奇妙で優美な感じ」と柔軟に取り込み文中でも採用している。
タクシーは場所の説明を中国語ではできないので、地下鉄を使い、車内で髪型や服装などの外見チェック、どこか分からない駅で降りてテキトーに歩いて町の概観チェック。そして縦横無尽に高速度でかすめる電動自転車を心の中で「自転ター」と名付ける。あれは自転車ではない、スクーターとの中間という発想。そこから更に食事デリバリーシステムの「外卖(wai mai)」を理解することで、時間に追われる配達員が地方出身者であり、「確かに階級の埋まらない差は普通に住んでいるだけでひしひしと感じられて、ありとあらゆる種類の職業があるから“横”にはたやすくシフトチェンジできるけど、“縦”にはなかなか這い上がれない。這い上がっているビジョンがどうしても思い浮かばない雰囲気が街中に漂っている」と考える。

アプリで知り合った日本語を学ぶ大学院生カップルと遊び、彼らが入るどの本屋にも上野千鶴子のフェミニズムの本が置いている。朝陽公園では椅子スケートや氷の滑り台に乗る。そこそこ大きい石を「ふりかぶって、思い切り亮馬河に投げつけるとパッキーンと音がして、分厚い氷の表面に瑕さえつけられず、石は遠くへ滑っていく。」

その後、夫婦ともにコロナに感染し発熱、生姜をすりこんだ熱いコーラを飲んでいる内に春節、期待したお腹に響く爆竹禁止の規則はきちんと守られて、しんとしていることを実感している。

その後も色々と興味深いエピソードが続くが、終盤になって夫との会話で魯迅の『阿Q正伝』の「精神的勝利法」という言葉と意味を教わる。作者の綿矢りさ氏と中国文学者の藤井省三氏の対談で解析されている。(集英社『すばる』系のサイトで全文が読めます)

享楽的にも思索的にもどちらにも感じられる北京での日々。
それぞれをキレッキレの文体で読みながら、北京の流行を教わり、中国の不易(変わらないもの)も感じ取り、ズキズキワクワクした。

服部良一が作曲した『東京ブギウギ』の歌詞は上海バンスキング仲間の鈴木アラン勝が10分で作ったという伝説があるそうだ。
勝は金沢が生んだ哲学者、鈴木大拙の養子(一説にはベアトリス夫人の実子)。その超享楽的な生き方は思索の大家である養父大拙とは正反対であったらしい。

(井上邦久 2024年2月)

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