『眼鏡の暗黙知考』

眼鏡ネタも4回目と食傷気味かもしれませんがお許しください。

前回「眼鏡の聖地 鯖江」と言いましたが、その後ルクスオティカのイタリア人デザイナーから、「イタリアでは鯖江を“Mecca dell occhiale”(眼鏡のメッカ)とも“Vatican dell occhiale”(眼鏡のバチカン)と呼ぶ人もいますよ」と言われて、「それは誉めすぎでしょう」と返したところ、元々哲学専攻の彼が「本当です」と極めて真顔で言われて、「鯖江って想像以上にすごい」と有難く信じた次第です。また、先月イタリア本社に出張した元々演劇専攻のイタリア人通訳の方から、「イタリア工場の生産ラインの磨き工程に『GIAPPONE』と表示があり、日本の製造方法が本社に導入されていて誇らしかった」との報告がありました。ルクスオティカでは、中国製と日本(鯖江)製の生産アイテムは明確に区別されたおり、今年からは誰もが知る超有名仏ブランド眼鏡の生産が、初めてデザインから一貫して鯖江で行うことになったそうです。ブランドイメージには最高レベルで厳しいブランドマネジャーが鯖江の力を認めたということで、こちらも誇らしくなりました。これは、ファッションアイテムとしての眼鏡の側面に対しては、きらびやかなファッションブランドを武器として、さらに医療矯正器具としての側面に対しては「Made in Japan」や「Sabae Made」の無骨な刻印が高品質・高機能を担保するというダブルネームこそが、ルクスオティカのハイエンドゾーン眼鏡のブランド戦略ということで鯖江進出の意味を改めて確認しました。

さて、前回の積み残しである企業が鯖江に求める「職人技の神髄」と言われる暗黙知とはいったい何なのでしょうか?

少しばかりアカデミックに、暗黙知という事で、マイケル・ポラニーの『暗黙知の次元』を参考にします。暗黙知と形式知は、マイケル・ポラニーが『暗黙知の次元』で示した「知識(ナレッジ)」の認識論的な分類ですが、彼は「私たちは、言葉に出来るより多くのことを知ることができる」と言い、言語などの明示的・形式的表現では伝達不可能な知を暗黙知と呼び、言語などの明示的・形式的表現での伝達が可能な知を形式知と呼びました。暗黙知とは、「経験や勘、直感などに基づく知識」、「簡単に言語化できない知識」、「言語化してもその意味が簡単には伝わらない知識」、「個々人が言葉にされていないものとして保持している知識」のことで、具体的には経験的知識とも呼ばれ、形式化(言語化、データ化、情報化)したり他人に伝えたりするのが難しいものです。眼鏡で言えば、グルリと元に戻って、海外移転できなかった「職人技」ということでしょうか。

皆さんにとって「釈迦に説法」的な暗黙知の話はここまでにして、次に鯖江における「暗黙知たる職人技」とはいったい具体的に何なのでしょうか?

現場でヒアリングをしてみました。眼鏡が出来上がるまで、メタルフレームだと250300工程あると言われ、工程には機械化・自動化できるところと手作業の所があります。ある眼鏡会社のトップH氏のお話は以下の通り。「日本的なやり方は、一つ一つ手作業の行う事。機械でできるものをわざわざ手作業で行う。だから納期もかかり、量産できない。手作りの味を求めて眼鏡を芸術品して扱う。だから、わざわざ手作業でヤスリ掛けして、バフ磨きをして人的付加価値をつける。これに対して、イタリアや中国の工場は機械化・自動化で対応しており、日本レベルの高級フレームにはならない」。また、別の若手Y社長は、「鯖江の技は仕上げの完成度である。手作業こそが中国製に対するアドバンテージ。中国工場の方が最新鋭の工作機械が揃っている。手作業にあたる工程は磨きである。丸みをつける、エッジを立てるなど。日本人が仕上げるモノと外国人が仕上げるモノとでは違いがでる。鯖江の脈々とした懐の深い職人の親方から引き継いだ繊細で微妙なモノである。大量生産型の中国製にはないものである」。さらにT社長からは、「磨きの技に『泥バフ磨き』と言うのがあり、まるで日本刀を研ぐように泥状のもので手磨きをする。その仕上がりのエッジの立ち上がりは何とも言えない味がある」とのことで、同じ眼鏡というモノが中国と日本では別次元の扱いになっています。「眼鏡を芸術品レベルまで持ち上げるなんて、オーバースペックじゃないの? だから日本の製造業は…」との声も聞こえそうですが…。この議論はまた改めて。

今鯖江の眼鏡の復活を支えている「Made in Japan」への信頼やリスペクトが中国への移転で取り残された「暗黙知」である(と断定するのはもう少しデータを集める必要がありますが)。しかし、それに気が付かせてくれたのが、巨人ルクスオティカの鯖江進出だったのは極めて皮肉なことでしょう。かつて日本の製造業のお家芸を言われた現場の熟練工や職人の力。マニュアルが無くても、多少設計や指示書に不備があっても現場で臨機応変に手直しして仕上げてしまう暗黙知の力。ベテランが第一線を去り、名工と言われる職人が老いて行くなかで、高い品質のサスティナブルを守るのが難しくなっているのは眼鏡の製造現場でも同様です。今では鯖江の世界市場におけるサバイバルパワーとなっている暗黙知の継承が大きな問題となっています。

そんな懸念の中で、生き残った暗黙知を具体的に継承させる動きがありました。眼鏡職人の担い手育成講座「鯖江職人フレーム職人学校」が職人の高齢化が進む中で、マニュアル化が難しい眼鏡の磨き技術を伝承しようとする試みです。第一期生5名が1117日にスタートしました(20211124日福井新聞)。なんと言うタイミングでしょうか。次なるヒアリング対象が見つかりました。カブトガニやシーラカンスのように進化しなくても生き残る「生きた化石」も存在します。大学では学生に対してダーウィンの進化論から「強いものが生き残るのではなく、変化できるものが生き残る」とこのコロナ禍の時代、変化への柔軟な対応を教えていますが、変化しなかっから結果として生き残ったものがあるということも忘れてはいけないのでしょう。これも「不易流行」でしょうか。さて、今回は中国に関する話が少なめでしたが、次回は中国ネタ満載で、鯖江の眼鏡会社に2年間勤務して中国現地法人5社の経営に深く携わった時のエピソードを記すということでご容赦願いたいと思います。

 福井大学 大橋祐之 (2021年12月)