『厳修』

盆と彼岸の途中の9月10日は若冲忌です。疫禍のため打ち揃っての彼岸法要は今年も中止する旨の連絡が届きましたが、若冲忌は厳修(ごんしゅ?)します、とのことで朝から伏見深草の石峰寺へ向かいました。盆に暑さを言い訳にしてパスしたので、春の彼岸以来の伯父・叔父の墓参でもあり供花を剪定してもらいながら、この二人には地元の「玉の光」を献上する方が喜ばれるなあといつもの様に思いました。先に墓参りをして自分用の更地の草を抜いてから、若冲忌法要の末席に並びました。この日だけ公開される石峰寺所蔵の若冲の真筆を住職の解説とともに拝見するのも毎年の習いとなりました。今年は9月になって澤田瞳子さんの『若冲』を読んで、付け焼き刃の耳学問が増えたこともあり、小説の舞台での気分が昂揚しました。恙なく法要が厳修され、裏山の五百羅漢を巡り、山門を抜ける前に伯父・叔父から日本酒の「下賜(おさがり)」を厳修しました。

 

この夏に逝った今井常世さんは、米国留学や外資系経営で培った合理精神と信州戸隠神道の家風が見事に混合された方でした。加えて折口信夫(釈超空)の高弟だった尊父の来歴を語ってやみませんでした。折口全集の年譜に「常世」と命名という記述とともに手書きの赤ん坊の絵が書かれていますねと伝えた時、高名な国文学者/民俗学者が身近になり、常世さんの含羞を感じました。

赤ん坊必需品のベビーパウダー(天花粉)の開発で、ジョンソン&ジョンソン本社や須賀川工場の皆さんとの交流が続き、中国南部の広西壮族自治区の桂林をベースキャンプとして奥地の滑石鉱区へ日米合同調査隊が何度も訪れました。1980年代初頭の中国は「地方分権」「外資・先進技術利用」「外貨獲得」が奨励される掛け声先行の時代でした。出張先で言葉と文化の橋渡しを担う今井さんの助手役として、田舎町で葡萄酒を捜し回り、ワイングラスを見つけては小躍りして一緒に磨き上げるような牧歌的な交流が続きました。J&J本社の研究トップのアシュトン博士は龍勝県政府の宴席でバイオリンを奏で、山村の子供達にはゴム風船を配って人気者になっていました。一方でNASAの航空写真を内々に開示して桂林地区に良質の鉱脈が存在する根拠を教えてくれました。また、滑石(タルク)鉱区にはアスベスト鉱が混在するケースがあること、アスベストの針状結晶の顕微鏡写真を示して発癌性リスクのメカニズムを強調されました。

中国の処女鉱区と米国の先進技術を繋ぎ、日本が「補償貿易」形式でトラックと滑石鉱石を交換する。秘密の花園での幸福な日米中合作の時代でした。

 

毎年の誕生日に合わせて、下鴨神社の糺の森での古本市と大文字送り火を楽しみにしてきた荒川清秀さん、今年は上洛を果たせず昇天されました。正月早々唐突に「余命数ヶ月」の連絡があり、愛知大学の豊橋キャンパスでの恒例の花見にかこつけ会食もできましたが、7月の押しかけ見舞いには「自主的に面会忌避・謝絶したい」との意向を受け、豊橋一歩手前の岡崎で引き返しました。

二十歳頃からの学兄です。着実緻密に中国語用例カードを蓄積し、その成果が中日大辞典にも採用されていました。後に東方書店「東方中国語辞典」の編纂に従事し、『近代日中学術用語の形成と伝播 地理学用語を中心に』で清末・幕末/明治の漢語交流を日本由来/中国由来の両面から分析して博士号を取得。単純で粗雑な日本からの一方的な新語授与説に一石を投じました。ラジオ/テレビで講師を務め、今年も「テレビで中国語」テキストに連載寄稿をしています。

9月号は購入して「あの人の文章にしては珍しく余白が広い」と言う奥さんの言葉を思い出しながら余白の意味を味わっています。「12月号までの原稿は書きためているよ」というご本人の律儀な言葉も耳に残っています。

清末民初の教育学者に厳修(Yan Xiu・げんしゅう)がいます。天津での家塾を育てて南開大学の始祖の一人となり、海外の教育制度導入に注力し幼児教育・女子教育そして師範学校を設立しています。恩師の高維先先生の思い出を綴るときに、恩師が天津で受けた百年前の教育事情や横浜の大同学校との関連について、厳修や教育史に詳しい朱鵬先生から教わりました。直前まで壮健そのものだった天津出身の朱鵬教授も昨年9月12日に東京で急逝されました。

「関西で唯一の文芸専門出版社主・涸沢純平が綴る、表現者たちとの熱い交わり模様、亡き文人たちを語る惜別のことば。奥さんと二人の出版物語。」と清楚な装幀をキリリと締めた帯が語る『編集工房ノア著者追悼記 遅れ時計の詩人』を著者・発行者のご夫婦から直に購入しました。正直に言うと『1971年 僕の訪中ノート』を入手する目的で編集工房を訪ねたのでしたが、涸沢さんの語り口に曳き込まれ、帰宅後はなだらかな文章に惹かれました。

この散文詩のような追悼記を読んで、生きていくとは、去る人や逝く人をしっかりと見送り、その人を忘れないで、心の中で一緒に生き続けていくことなのだと思い定めました。落ち込むことなく9月を迎えています。

 

9月9日は毛沢東、9月10日は日本で最初のBSE罹患牛、9月11日はNYの3000人近い人たちの命日です。無反省に生き返らせたり、20年戦争を続けたりしてはなりません。牛のことは来月に綴ります。(了)

 

井上邦久(2021年9月)