『往事如煙(続々編):卒業記念写真 … 青春時代の1ページ』

この年(還暦の60歳)になると、なぜか過去の回想が頭の中に頻繁に蘇っています。古くさい昔話ばかりで恐縮ですが、最近、高校と大学の卒業写真を見たりすると、過去へのタイムスリップのように行き来しています。

高校を卒業したのはいまから40数年前で、1980年の6月です。さらにその4年後の1984年に大学を卒業しました。当時、高校時代も大学時代も卒業アルバムのような立派なものがありませんでした。1枚の集合写真を仕上げて卒業の「締め括り」となり、いまから思うとちょっと寂しいものですね。

 

高校時代:卒業記念

まず、高校時代の卒業記念写真をご覧下さい。

 

図1 高校時代の卒業記念写真(1980年)

 

上段の文字「高二六班畢業留念 八〇・六・十四」(高二第六班の卒業記念、1980年6月14日)が読み取れます。当時の高校は二年制で、1978~80年の2年間で高校生活を送りました。校門の前で集合写真を撮りましたが、前段真ん中に座っているのは校長、担任や各科目担当の先生たちです。いまでもよく覚えていますが、担任の趙先生、物理の劉先生、化学の羅先生、などなど。

さて、クラスメートの方ですが、全員の名前がさすがに覚え切れていませんが、女子16人、男子24人でちょうど4:6の比率です。当時は受験勉強の一筋で、三食寝起きと勉強だけの毎日でした。1980年代の大学進学率は数%と過酷な時代なので、遊び(まあ、いまで考えるとこれと言った遊びがあまりなかったが)はもちろん禁物ですが、さらに以下の二つの「絶対するな」というのがありました。(何かの強制ではなく、そういう風潮でした)

一つはテレビを見るな。その時期はちょうどテレビというものが認知され始めた頃で、映画やテレビドラマ(特に海外の連続ドラマ)が大人気で、多くの人たちは毎晩テレビに釘づけになってています。受験生がそんなことをしたら、勉強が疎かになりついていけなくなると、多くの先生や親から心配されます。テレビ放送の時間帯になると、受験中の子供はテレビのある部屋から追い出されます。

もう一つは恋愛するな。これも勉強に集中できなくて受験失敗の事例がよく紹介されたと記憶しています。いま振り返ってみると、とても残酷な時代だなと思います。思春期の男女に「恋愛するな」と言っても、全員がコントロールできる訳がないのではないかと思います。恋愛イコール受験失敗と、随分おかしな理屈ですね。

自分はというと、残念ながら高校時代の恋愛経験はありませんでした。それどころか、同じクラスの女子と会話した記憶もないぐらいです。唯一、それらしい記憶は、高二の最後に同学年の全クラス参加のダンス大会でした。グラウンドに全員が集まり、男女は手をつないでダンス(なんのダンスなのか忘れたが)をやりました。生まれて初めての経験で、体に電流が流れた感じでした。

 

大学時代:卒業記念

図2 大学時代の卒業記念写真(1984年)

 

さて、次は大学時代の卒業記念写真です。まあ、スタイルとしては、前記高校時代のものとほとんど大差なく、前列に座っているのは先生や学生指導員で、2列目以降は全クラス(専攻)の学生たちです。理工系大学なので、計60人の学生の中、女性は12人とちょうど2割でした。

また恋愛の話しになりますが、当時の大学からもとにかく勉強しろの一点張りで、入学オリエンテーションの時に、いきなり「3禁止」と言われた記憶です:タバコ、酒、恋愛。厳しい受験戦争から勝ち抜いてきた皆さんで、高校時代までは勉強の一筋で相当の「犠牲」を払ってきました。大学に入り「青春の取返し」を考える学生は少なくなく、この「3禁止」を聞いたらとても心穏やかではいられませんね。1年生の時は仕方なく大人しくしていましたが、2年生からは段々とその効き目がなくなってしまいました。クラスや学校の中で、かなりのカップルが誕生しました。

ちなみに、自分の居たクラスの「成果」ですが、卒業時に4組のカップル(クラスメイト同士)が生まれ、結婚しました。めでたい話しですね。

 

最後に、やはりどうしても忘れ難いのは、大学4年間の寮生活(宿舎)です。周知の通り、中国の大学ではほとんど全寮制で、地元出身者でも一律に寮に入らなければなりません。私が入寮したのは10人部屋(いまでは信じられない人口密度!)で、20平米ぐらいの四角い部屋には、五つの二段ベッドが壁沿いに並び、真ん中には机と椅子が置かれ、これが全てです。エアコンどころか、扇風機もありませんでした。南方地域で、夏はとても暑いのですが、蚊帳も付けないといけないので、夜は結構しんどい記憶でした。

大分過酷な環境でしたが、4年間の大学生活を楽しく過ごしていました。というのは当時の大学生は貴重な存在で、社会からかなり持てはやされていました。また卒業後、国による「統一分配」(就職配属)があり就職の心配はありません。大学生はひたすら勉強に没頭すれば良い時代でした。これも人によるものですが、自分はこれと言ったストレスも不安もありませんでした。

卒業の時、皆それぞれ就職先も決まり、もうすぐ分かれるタイミングに、全クラスが集まって祝賀会をやりました。歌やダンス、それから寸劇の披露もありました。いまでもはっきり覚えていますが、当時中国で大ヒットした日本映画「追捕」(邦題:君よ憤怒の河を渉れ。高倉健主演)のワンシーンをやりました。

 

大学を卒業してもうすぐ40年になろうとしており、卒業記念の写真も大分色褪せてきています。当時を振り返ってみると、ひたすらに、良い仕事をしたい、良い生活を送りたい、それから海外に行きたい、という実現性や根拠のない目標を漠然と持って社会人になりました。これが我が青春時代の1ページでした。

雷海涛(2022年9月)