『三国志 in 日本』

三国志と言えば、本家の中国では、よく「三国演義」、即ち明代作家である羅貫中(生没年不詳、元末明初と言われる)の通俗白話小説のことを指しています。この白話小説は中国の大衆に最も読まれ、広く浸透してきました。一方、「三国志」となりますと、これは西晋の陳寿(233年~297年)に書かれた歴史書のことです。こちらはあまり読まれていませんが、史実に沿っての記載だと言われています。

 

                         

                                「三国演義」連環画(筆者所蔵)

  

では、現代日本の方はどうなっているかと言いますと、国民の間に最も広く親しまれるキッカケとなったのが、前世紀半ば頃の吉川英治作の「三国志」ではないかと思います。これは中国の三国志演義を基に、陳寿の史書を参照しながら再構成したものです。本家中国の「劉備善玉・曹操悪玉」というパターンを変え、曹操に対してもかなり魅力的に描かれているのが大きな特徴と言えるでしょう。

さて、私自身30数年間の在日経験からの観察ですが、中国古典小説の中に三国志が極めて特別な存在で、長年にわたり人気度が高く、永遠不滅と言っても過言ではありません。一つ身近な例ですが、日本人の知り合いの中に「亮」という字がついた名前の人が何人もいます。最初は明るいや輝かしいという親心的な付け方だと思っていましたが、あとで本人に聞いたら、「父親が三国志が大好きで、諸葛亮(孔明)から名付けた」とのこと。なるほど!ここまでののめり込めば本場中国も顔負けですね。 

周知の通り、日本の三国志ブームは小説から漫画アニメまで、数え切れないほどのコンテンツがあります。さらに、解説本から研究論文まで、これも本場中国が顔負けするほどだと言って良い。ではなぜ、これほどの人気なのか?これも諸説ありで定説ないものですが、一つ言えるのは、乱世の英雄、つまり魅力のある人物に惹かれるのではありませんか。以下の民間調査ですが、その一端が伺えます。

                                        三国志人物の人気ランキング

順位

人物

得票比率(%)

1

諸葛亮(孔明)

100.0

2

劉備(玄徳)

73.9

3

関羽(雲長)

58.3

4

曹操(孟徳)

37.3

5

趙雲(子龍)

36.0

6

張飛(益徳)

22.9

7

呂布(奉先)

17.8

8

周瑜(公瑾)

16.6

9

馬超(孟起)

13.7

10

司馬懿(仲達)

12.4

                                ランキング調査概要「三国志の登場人物に関する調査」

                  (集計期間:2007216日~2007218日、有効回答数1049人)

 

日本では、このような三国志に関する調査が恐らく星の数ほどあり、結果のバイアス(ずれ)もまちまちですが、ある程度の意識傾向が見ることができます。私がここで注目したいのは本場中国との対比です。上位三人まではほぼ一致していますが、4位の曹操は意外な結果です。中国では、曹操に対して「乱世の奸雄」と呼ばれるほどの悪玉で、猜疑心が人より数倍強く、事実確認もせず、いきなり首切り(処刑)するなど、常に善玉の諸葛孔明や劉備玄徳の対極に位置付けられます。従って、上位ランキングに入るのはまずあり得ないであろう。対して、日本は前記の通り、吉川英治の小説や、その後の漫画(ほぼ吉川小説に基づく展開)の影響が大きく、曹操に対する評価は中国と大分分かれていると思います。(補足:中国も近年、曹操に対して再評価しており、歴史観の変化が起きている)

もう一つ、10位に入る司馬懿(仲達)ですが、これも中国人にとって意外の結果と言えます。というのは、三国演義では、魏蜀の戦いにおいて、智恵の持ち主である諸葛孔明に連戦連敗と全く歯が立たない、まさに愚かの代表格になったためです。中に有名な「空城計」はポピュラーな京劇演目にもなり、国民的支持が根強く続いてます。

では、実際はどうでしょうか。歴史の検証ではなく、少しロジカルに考えてみたい。前記の通り、司馬懿は智恵の面において、確かに諸葛孔明の相手になれません。しかし、数多くの戦いの中、諸葛孔明は司馬懿に対して何度も後一歩まで追い詰めながら、結局最終的な勝利を得ることはできませんでした。クライマックスである第五次北伐のさい、司馬懿を絶体絶命のところまで追い詰めながら、取り逃したとき、諸葛孔明は「事を謀るは人に在り、事を成すは天に在り」と慨嘆しています。(引用:井波律子「中国の五大小説」)

ということは、司馬懿は強運のほか、諸葛孔明(結局過労のため、54歳でこの世を去った)に対して持久戦に持ち込み、守りを固めるなど評価すべき点が少なくありません。このような考えや作戦は現代にも通用し、経営やビジネスの手法としても十分に活用できると思われます。

もう一人、日中の評価がかなり分かれているのは劉備の息子、劉禅です。中国では、愚かや無能の代表格で、「楽不思蜀」と表現されたように、降伏した相手の前に引き出されてもニコニコ笑っている超能天気ぶりは、国が破れる悲劇を、喜劇のように演じていると、いつも最低最悪の評価になります。ところで、日本の評価はどうかといいますと、以下の点では、本場中国と大分異なります。

一つは劉禅の在位年数です。先代劉備亡き後、劉禅は、蜀の皇帝として実に40年にわたり君臨しました。これは三国志のみならず、中国歴史の中でも最長の部類に入ります。ちなみに、歴代皇帝の在位期間は、平均して僅か5年ほどでした。

劉禅の在位40年の中、諸葛孔明が仕えたのは11年あまりで、残りの約30年は「諸葛孔明亡き」期間です。この間、劉禅は自分の手で誰かを殺したことも、誰かを寵愛して権力闘争を引き起こしたこともありません。平和の時代そのものです。まず、このような結果を評価すべきではありませんか。

もう一つ、あっけなく晋(魏から禅譲を受け、三国時代を終焉させる)に降伏したことですが、現代風に言えば無血開城です。これも実力の差を分かった以上、無駄な犠牲を避ける選択肢で、悪い判断ではないでしょう。この点においても、現代の我々に対して参考する価値が大いにあると思われます。劉禅に対する評価は、日本の方はむしろ客観的ではないかと思います。

三国志は一つの小説や史書にとどまらず、日中ないし世界の「共有資産」として楽しんだり、学んだりすることは、相互理解に大いに役に立つと思われます。皆さんの三国志談義をぜひ学びたく、その機会を心待ちにしております。

 雷海涛(2021年9月)

 

〇参考文献

・井波律子『中国の五大小説(上)』(岩波新書、2009年)

・雑喉潤『三国志と日本人』(講談社現代新書、2002年)