【挿隊的日子~下放の日々~】(13)その1

13.「河之戦」~河川工事の戦い~ ①

 

農村でいつ終わるともしれない毎日を過ごしている知識青年たちは、毎年年末になると、年季が明けて北京市内での仕事に異動できるように祈った。

1978年11月の終わり、ついに私たちも市内へ戻れる条件に達した。戻るその日のために、私は早々に知識青年食堂の仕事の引き継ぎを終えていた。

ところが、本来であれば下放の最後の数日を気楽に過ごせるはずであったのに、のんびりとする間もなく緊急通知が出され、小清河の水利工事の現場に召集されてしまった。

そこに集められたのは、村中のすべての労働力である。

活気にあふれ賑やかな河川工事の現場では、シャベルを振り上げて川底の砂泥を掘り起こしたり、堤を修理したりしていた。砂泥を運ぶ手押し車や馬車、トラクターは威風堂々とし、このような壮観な場面は、私たちの村では初めて見るものだった。

水利工事には国の補助金がでるので、公社員たちは「真っ白いご飯やうどんを毎日食べられ、しかも量はたっぷりで、さらに毎食肉や野菜のおかずもついている」と言っていた。

その上、1立方メートルの砂泥を掘るごとに、かなりの収入にもなる。興奮のあまり、公社員たちは工事が終わった後の収入について早くも胸算用をはじめていたが、貴重な財産を手に入れるには、汗水たらして全力を尽くさなければならない。

工事現場での最初の仕事は、まずは体を休める場所の確保である。

おのおの日当たりが良くて風が避けられる窪地を選び、1メートル四方の入り口を掘る。そこから奥に向かって2メートル余り掘り進み、細長い寝床とする。その洞穴の中に湿気を防ぐための干し草を敷いて、その上に布団を置き、入り内にはビニールシートを張ってカーテンの代わりにする。これで一人部屋の出来上がりである。

夜は、この洞穴の中でも吐く息が白くなり、朝になると髪の毛や眉毛は凍っていた。綿入りの帽子を被り、綿入れの上下を着たまま眠っても、時として寒さで目が覚めることがあり、この「外泊」はなんとも辛いものだった。

昼間、工事現場では一人当たり5立方メートル分の泥を掘るというノルマがあった。

公社員は家族単位のチームだが、私たち知識青年は男女混合の4人一組であった。「男女で力を合わせれば、仕事も頑張れる」ということらしい。

砂泥を掘ったり、堤を修復したりするのも疲れる仕事とはいえ、堤の上の坂道で砂泥を運ぶのに比べれば、とてつもなく楽な方だった。

トラクターはドッドッドと黒煙を上げ、車を引っ張る家畜は口から泡を吹き、手押し車を押す人は苦痛に顔をゆがめ、その体はエビのように曲がっていた。砂泥を掘るのは大変だ、堤を修復するのも大変だ、でも掘った砂泥を運ぶのは本当に厳しい作業だった。

工事現場で何日か苦しい日々を過ごした後、私は工事現場の指令所に呼び出された。

木材の骨組みに防水布を被せた現場の事務所の中で、黒の綿入れを着た大隊長が、ちらちらする石油ランプの灯の下で私に別の任務を言い付けた。

いや、「言い付けた」などという優しいものではなく、戦場で指揮官が兵士に突撃を命じるようだった。

「明日、市内に行け。そして上物(ジョウモノ)を仕入れてこい。皆に力をつけさせなきゃならんからな」

大隊長の言う「上物」が何を指すのかはおのずとわかっていた。

そしてここの100人を超す労働者のための食堂では、500㎏の脂身や臓物がなければ問題は全く解決しないということもわかっていた。

その上、この任務を遂行するのがどんなに難しいかも理解していた。

仕方ない。エイヤッと心を決めて、つつしんで承った。

何を買うにも配給キップが必要な時代だった。身近に購買販売協同組合や副食品店の知り合いがいなければ、どんなやり手であっても、どんなに口がうまくても、欲しいものを手に入れることはできなかった。

幸いにして、知識青年食堂を切り盛りしていた頃のツテがまだあるので、まずは購買販売協同組合へ行って拝み倒した。

いかんせん規模の小さい協同組合では私の要求する量には遠く及ばず、どうにかこうにか100㎏の豚肉を融通してくれたが、その他の肉類は一切なかった。

その後、北京市内の慶豊閘にある副食店で豚肉の取り扱いを担当している幼馴染を訪ねた。来意を説明し、この任務は絶対に成功させなければならないんだからな、と脅しをかけた。

私の高圧的な態度に、その幼馴染は不愉快そうだった。

「お前が俺にものを頼んでいるんだよな。俺よりエラそうにしやがって。お前が言ってるのは半端な量じゃないんだ。一体どこから盗んで来いっていうんだよ」

それから口調をやわらげて言った。

「俺のところだけじゃ到底解決できっこないよ。少なくとも数店舗まとめて、4、5日かかるんじゃないか?」

彼の言葉を聞いて、私はだいぶ気持ちが楽になった。

約束した日、約束した時間に生産隊から荷物運送用のトラックを借りて、幼馴染の手配で4軒の副食店を回った。

協同組合が準備してくれた豚肉と併せて、豚の頭、豚の臓物を、とにもかくにもトラック一杯にして工事現場へ持ち帰った。

(2018/07/24掲載)