【挿隊的日子~下放の日々~】(2)

二.「初生牛犢」~怖いもの知らず~ 

数日間の知識青年教育が終わった。

4月の最初の日、私たちは正式に農民となり、「地球の修理」――農作業をして労働点数を稼ぐ生活を始めた。何事も最初は難しいもの。幸先の良いスタートを切るために、私たち20人は申し合わせたかのように同じ服装――薄緑色のベトナム軍服を着て(ベトナム戦争期、中国軍人はベトナム国内でベトナム軍人と同じ軍服を着ていた)、白い運動靴を履いていた。この衣裳は、1975年9月の第三回全国運動会の開会式で披露された大型マスゲーム『紅旗頌』のために労働者に支給された練習着だった。麦わら帽子をかぶり、シャベルを担いで、曲がりくねった田の畔を一列に並んで歩いていく様は、さながら青春の息吹に満ちた一幅の絵巻物のようだった。

ところが、目的地に着いた途端、私たちの「揃いの目立つ」服装は、人々の議論の的となった。隊長はことさら烈火のごとく激怒し、私たちを叱りつけた。

「自分たちの身なりを見てみろ。これで貧下中農の再教育を受けに来たってのか?これじゃまるでピクニックじゃないか。いや、違う。俺らに自分たちの力を見せつけに来たんだな。戻って身ぐるみ剥いで来い。真っ白な運動靴でどうやって仕事するっていうんだ。」

しまった!レッテルを貼られてしまった。私たちは恐る恐る宿舎へ戻って着替えた後、気まずい思いで一日目の農作業――「溝を掘って施肥する」を始めた。

冬を越して再び緑色になった、まだ伸びる前の冬小麦に化学肥料を与えるのである。冬小麦は種まきから収穫まで9カ月の生長期間が必要で、今が正に肝心な時期だった。私たちは二人一組に分かれ、一人が鋤で二列の麦苗の間に浅い溝を掘り、もう一人が化学肥料を手でつかみ、塩を撒くように溝の中に撒いていく。数百ムーの麦畑はどこが端なのかわからず、その中にまばらな人影がぽつぽつとあり、忙しい中、私たちがやった農作業が合格なのかどうか検査する者は誰もなく、休憩時間に隊長がみんなにこう声をかけるだけだった。

「タバコが吸えるものはタバコを吸え。タバコが吸えないものは水を飲め。但し飲みすぎるなよ。一杯目は味わい、二杯目でのどを潤すんだ。三杯飲むのはロバと同じだぞ」

何日か過ぎると、私たちの仕事も上達し、だいぶテキパキとできるようになった。ただ、どうしても理解できなかったのは、私たちのように若くて力のある男子が、意外にも田舎育ちの女子に後れをとることで、それはほとんど毎日例外なかった。農作業はもちろんスポーツ競技ではないけれど、公社員、特に女性公社員にいつも引き離されるのも不名誉なことだ。公社員は一体どんな技を使って作業をしているのか、一部始終を探らなければならない。そこで私たちは溝の中に腹ばいになって「偵察」し、発見したのだ。

「見なけりゃわからない。世界は本当に不思議」とはこのことで、なんと大多数の公社員がやっていた快速高効率の奥の手とは、麦畑の両端は要求どおりに作業をし、中の部分はかなりの距離ごとに穴を一つ掘り、化学肥料をこっそりと「土葬」にすることだった。それまで私たちは果物や野菜、イネや雑穀の種を植えることは知っていたけれど、化学肥料も「植える」ことができるのだ。農作業ってこうすればいいんだ、と、ここの公社員の「創造的」労働を見て、はじめて見識が広まった。植えた化学肥料から何が育つのかはわからなかったが、土地と小麦に被害を与えることは明らかだった。

その年の麦の収穫は報いを受けた。私たちの隊の麦の穂は毛筆の先ほどで、1ムーあたりの小麦の生産量はわずか100~150㎏くらいだったのに、近くの村の1ムーあたりの生産量はどこも250㎏を超えていた。これこそ怠け者に対する土地からの懲罰だった。俗に言うではないか、「人でも犬でも自分勝手なヤツはもらいが少ない」と。

化学肥料をまき終わった小麦には水をやらなければならない。小麦の水やりは楽な作業に見えるが、用水路が水漏れでもしたら、てんてこ舞いの大騒ぎだ。心配すればするほど、それを超える状況が発生する。用水路の奔放な水が漏れ始めると用水路の壁は瞬時に大きく崩れできてしまう。混乱の中、私たちはどうしていいかわからず、知識青年の何人かが男女問わずズボンをまくり上げて、刺すように冷たい用水路の水の中に飛び込んだ。崩れた箇所にあたる水の衝撃を自分たちの身体でやわらげ、残りの人たちが鍬やシャベルで素早く穴を塞いだ。私たちこの年代の人の脳裏には、模範京劇『龍江頌』の中の身を挺して堤防の決壊を防ぐ、という一場面が深く刻まれている。この時の私たちの行動のすべては、まぎれもなく実写版「用水路の決壊を防ぎ、麦畑を守る」の一幕であった。褒められると思っていた私たちは本当に無邪気で未熟だった。偏屈でがさつ者の隊長が遠くからすっ飛んでくるとは夢にも思わなかった。

隊長は苛立ちと怒りとで一しきりわめきたてた。

「誰がそうしろと言った?何をやらかした。水が漏れたからってなんだってんだ。小麦は冬の間中のどが渇きっぱなしだったんだ。1トンだって飲み干せるさ。ちょっとのことじゃ水没したり流されたりはしないんだ。水路だって壊れやせん」

本当に悔しかった。無念だった。このむしゃくしゃした気持ちはどうしても抑えきれず、呑み込むことができなかった。服を着替えに宿舎に戻った隙に、私たちはこっそりと「ずらかった」。全員一致で自分に休暇を与えることに賛成したのだ。

 

(2017/06/26掲載)