【多余的話】『人工水晶体』

 2020年6月の拙稿【多余的話】『モスラの歌』の冒頭に、大阪市北浜のハマダ眼科で緑内障の経過観察を続けていることを記した。緑内障対応の手術や投薬などの手法を簡潔に説明して貰った上で、3か月に一度の眼圧測定を繰り返す経過観察だけの息の長い対処法を選んでくれた。その間に院長やスタッフが、「会社や家でトラブルや諍いがあった日の予約はキャンセルして、安眠できた平穏な朝に来てください」という言葉を繰り返し患者に伝えるのを聞いて、自分でもしばらく考え、就寝前に『自省録』に倣った呟きのような日記を継続する習慣が定着していった。その後、中学生の頃の恩師が「3年日記」をプレゼントしてくれた。当日の煩瑣な些事への呟きを済ませてから、平穏静謐な状態で安眠することが増えた。
 すると徐々に眼圧の乱高下が少なくなり、低位安定の検査データが増えていった。一年前に「もう緑はいいでしょう、じゃあ、そろそろ白をやりますか?」と麻雀牌を連想させる喩えで白内障手術の準備が始まった。
 昨秋に治療計画を作った段階で、血糖値の指標ヘモグロビンA1cが基準値の8.0を超えていたので「先ずは血糖値コントロールに努めてから白内障を考えましょう」と言う指示(命令)があった。
 正月明けに血糖値データを届けたところ「クリスマス・忘年会・おせち料理の季節に血糖値を下げたのは素晴らしい」と褒めていただいたが、「次の血糖値検査の結果が継続して下降傾向にあることを確認してから白内障対応を再開しましょう」と、20余年来ブレの多い患者の性行を読み切った院長のご託宣だった。
 その後も節制に努めながら手術時のリスク管理の説明を受けた。オリジナルのパンフレットには、眼の構造的な説明と症状の由来、発生するリスクと対処策、術前術後のケアについて簡潔に、そして懇切に書かれている。写真も普段見慣れた院内風景なので親しめた。
 このパンフレットを読みながら、吉行淳之介の『人工水晶体』(講談社:1985年7月20日第一刷発行)を連想した。学生時代から小説や随筆以外にも新聞記事や週刊プレイボーイ誌の対談に至るまで吉行淳之介の文章を読んできた。新刊が出ると財布とは相談せずに直ぐに読んだ時期の一冊が『人工水晶体」であり、読後記録には「吉行が仏文系へ進まず、医学系を専攻して地道に学んでいたら名医になったであろう」とエラそうに記している。
 吉行淳之介は長い助走期間を新手術法の疑問点の解明に費やして、1984年12月に武蔵野赤十字病院の清水公也医師に手術をしてもらうことに決めた。医師との対話を続けて得心をした結果である。 
 術後に「人工水晶体―移植手術体験記―」を1985年「文芸春秋」6月号に執筆掲載している。同記録は単行本・文庫本にもなっているが、40年前の体験記と今回の手術体験は重なる点が多かった。 
 ハマダ眼科のパンレットに拠れば「昔は濁った水晶体を取り除くだけでしたので術後に度の強いメガネが必ず必要となりましたが、現在は眼内レンズという小さいレンズが眼の中に入りますのでほぼ正常と変わらない見え方に治すことができます。1985年3月に厚生省の許可がおりてから眼内レンズ挿入術が普及しだしましたが、1992年4月より眼内レンズが保険適応となり、今ではどなたにもこの手術の恩恵を受けていただけるようになりました。」とある。
 パンフレット「白内障日帰り手術を受けられる方へ」は、インフォームドコンセントの考えにのっとり、やや詳しく、わかりやすく書かれているのでお勧めしたい。
 右眼から左眼の順に「水晶体再建術」を施してもらい、現在は数多くの点眼薬を間違いなく投与するよう術後指導を受けている。
 6月の拙稿『早慶戦』で『キューポラのある街』は吉永小百合の代表作と書いた。ある方からその意見に異存はないが、『キューポラのある街』は浦山桐郎監督のデビュー作でもあり『私が棄てた女』とともに代表作の一つだという指摘を頂いた。小生も同感している。
 映画の最後半に電機会社(東芝?)の女工役を演じた吉行和子が昨秋に逝った。父吉行エイスケ、兄淳之介、妹理恵、母あぐりの後を追った一家のラストランナーだった。
 台湾関係に強い書院を経営している友人を訪ね、いつものお喋りを切り上げるタイミングで目にした『兄・淳之介と私』(潮出版・1995年7月出版)を手に入れた。
 聖路加病院で亡くなった直後に吉行夫人、宮城まり子のほか多くの女性が吉行淳之介を最も理解していたのは私だと言わんばかりの追悼文を書いた(書かされた?)。競争意識に溢れた商業主義的なそれらの書物とは少し傾向を異にする吉行和子の坦々としてカラっとした文章は、芥川賞作家の兄と妹に挟まれた女優の余技とは思えない天性の才を感じ、深い読後感が残った。一例を次に挙げる。
 ・・・変わっていく香港、変わることが約束されていながら、まだ変わっていない香港。この町は、底が深い。魅力がいっぱい詰まっている。(「迷奇的香港」1994年12月初出)
 初期に『街の底で』という佳作を残した吉行淳之介の祥月命日、7月26日はもうすぐだ。今年は33回忌にあたり、一部の宗派では弔い上げとして故人との御縁を切らして貰う習慣もあるらしい。     
 そんな簡単なことではない。

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