『往事如煙(続編):卓球スターの追っかけ』

前回の続きとして、自分の青春時代をもう少し振り返ってみたいと思います。これも自慢話ではありません。過去の1ページをめくり、そんな時代、そんなことがあったかとご笑覧下さい。

1981年だったと記憶していますが、大学一年生の時でした。第36回世界卓球選手権大会が同年4月14~26日にノビサド(旧ユーゴスラビア)で開催され、中国は史上初で7種目の完全優勝という快挙でした。ご存知の方も多いと思いますが、1970~80年代、世界で名を馳せる中国の得意種目というと、卓球がまず思い浮かび、世界大会の優勝は国中の一大関心事でもありました。

また、あの有名な「ピンポン外交」(1971年、名古屋で開催された第31回世界卓球選手権大会)も卓球の交流から米中関係の回復につながり、中国が再び世界の舞台に返り咲いたものでした。

本題に戻りますが、前記7種目の完全優勝は史上初で、中国内ではかなり熱狂的な反響でした。選手たちはもちろん英雄扱いですし、祝賀行事も至る所で開催されたと覚えています。

後の話しに関連あるので、以下に当時の選手団メンバーを挙げておきます。

   団   長            :徐寅生(中国卓球協会会長)

   コーチ            :李富栄(男子チーム)、張燮林(女子チーム)

   男子団体選手(以下同じ):郭躍華、蔡振華謝賽克、施之晧、王会元

   女子団体         :童玲、曹燕華、張徳英、斉宝香

   男子シングルス:郭躍華(優勝)、蔡振華(準優勝)

   女子シングルス:童玲(優勝)、曹燕華(準優勝)

   男子ダブルス   :蔡振華、李振恃

   女子ダブルス   :曹燕華、張徳英

   男女混合ダブルス:謝賽克、黄俊群

日本では知る人ぞ知るものですが、団長の徐寅生やコーチの李富栄、張燮林はいずれも中国卓球界のレジェンドで、1950年代の第一世代選手を経て長年後進の指導をしてきた伝説的な人物です。また、選手の中で大きな役割を果たした蔡振華は後にコーチを経て、国家体育総局の要職を務め、中国スポーツ界の「大黒柱」になっています。(図1)

 

図1 男子団体の優勝表彰

(優勝トロフィーを持っているのが李富栄コーチ、右端が蔡振華選手)

 

図2は優勝直後に発行された記念切手です。7種目のトロフィーの写真をそのままデザインしたもので、これもかつてなかった設定ではないかと思います。当時切手収集を趣味にしていた自分はすぐに購入してアルバムに収めました。余談ですが、7枚の切手には、額面は20分(0.2元)が2枚(男女団体)、残り5枚は8分(0.08元)で、当時大学食堂のおかず(野菜炒め=0.05元、肉野菜炒め=0.2元)の値段とほぼ同じでした。

図2 記念切手(筆者の収集アルバムから)

さて、本編の物語はここからです。当時、首都北京から遠く離れた杭州にいる自分にとって、この熱狂との関りは、ラジオニュースや新聞記事の情報と、前記した記念切手の収集ぐらいでした。テレビの実況中継がなければ、選手たちを直接見る機会はもちろんありません。

そんな中、優勝翌月の5月中旬、全国卓球優秀選手大会が杭州で開催され、優勝選手も来杭すると知り、すぐにチケット(図3)を買って、その日をワクワクしながら待ち遠しく思っていました。

図3 浙江人民体育館(杭州)入場券(1981514日、全国卓球優秀選手大会)

 

卓球の試合は中学時代に見たことがありますが、世界チャンピオンが一堂に集まり、目の前で見るのは生まれて初めてでした。世界大会の試合ではないとは言え、選手たちの姿や仕草を生で見るのはやはり映像と違い、すごい迫力があり感動しました。

実はここで、個人の大胆な野望が一つあり、なかなか落ち着いて試合を見ることができませんでした。というのも、買った記念切手を大学の封筒に貼り、その封筒に世界チャンピオンたちの実名サインを求めていこうと考えたからです。

そこで、どこでどうやって選手たちに会って話せるかと調べてみると、試合会場から休憩ルームに戻る連絡通路があることが分かりました。試合はまだ進行中でしたが、その連絡通路に行き、終了後に戻ってくる選手たちを待ち伏せました。今風に思えばやや不気味な感じですが、当時は警官も保安(警備員:その時代にはそもそも存在しない職業)も居らず、フリーパスで連絡通路に行き、待つことができたのです。本当に平和でのんびりした時代でしたね。

試合終了後、選手たちが続々とやってきました!もう生涯二度とこのようなチャンスがやってこないと思う一心で、全身全霊を込め、勇気を振り絞ってサイン下さいと頼んでいました。実はというと、頼まれる側もこのような場面はあまり慣れない様子で、一瞬戸惑っていましたが全員が快く応じてくれました。以下は7種目全部の切手(封筒)にサインしてくれた写真です。

ご覧の通り、まだサイン慣れはしていなく、全ては丁寧な直筆で判読可能なものです(いまの有名人のサインの文字なのかイラストのか判別できない書き方にはあまり感心しないのですが)。

 

図4 男子団体優勝関係者(一部)のサイン

(徐寅生団長、李富栄コーチ、郭躍華選手、謝賽克選手)

 

図5 女子団体優勝関係者(一部)のサイン

(徐寅生団長、張燮林コーチ、童玲選手、曹燕華選手、斉宝香選手)

 

図6 男子シングルス優勝選手のサイン(郭躍華選手)

 

図7 女子シングルス優勝選手のサイン(童玲選手)

 

図8 男子ダブルス優勝選手(一部)のサイン(蔡振華選手)

 

図9 女子ダブルス優勝選手(一部)のサイン(曹燕華選手)

 

図10 男女混合ダブルス優勝選手(一部)のサイン(謝賽克選手)

 

最後にもう一つの余談ですが、当時の様子を報道した地元新聞の記事(図11)を合わせてご覧下さい。ちなみに、女子シングルスの優勝者は後に日本に帰化した小山智麗選手(当時の中国名は「何智麗」)や、日本卓球のレジェンドである故荻村伊智郎さんも来場されたなど、当時地方にいる自分にとって、願ってもないチャンスでした。

 

図11 全国卓球優秀選手大会(杭州開催)の新聞記事

 

と、40年以上も前のことですが、いまでもはっきりと記憶し、時々懐かしく回想しています。当時の経済力(GDP総額)の比較では、アメリカが11倍、日本が4.3倍と中国を圧倒する時代でした。日米の背中が遠く見えない中国では、国民の「カンフル剤」になるようなネタは卓球ぐらいだったでしょうか。いまから思うとそんな隔世の感の時代に過ごした大学生活でした。

 

雷海涛(2022年7月)