【挿隊的日子~下放の日々~】(9)

9.刑場驚魂~恐怖の死刑執行場~

 

農村では、重くきつい農作業の他に、私たち知識青年と一部の若い公社員には、基幹民兵というもう一つの職能が与えられていた。都会の工場労働者民兵は「首都工場労働者民兵糾察隊」と呼ばれており、略称は「工糾」、俗に「二狗子(二匹目のイヌ)狗子は警察の隠語」と言っていたが、私たち農村の基幹民兵が何匹目のイヌなのかは知らなかった。

基幹民兵の任務は、脱穀などの農作業場や小麦や綿を耕作する面積の広い畑、野菜畑を休憩時間や農閑期に巡回し、泥棒が入ったり、家畜や家禽が食い荒らしたりするのを防ぐことだった。

国慶節や春節の前になると、公安機関は重大な刑事犯罪分子の死刑を執行した。そんな時、私たちは一般の民兵が経験することのない、周囲の警戒任務にも参加しなければならなかった。

レンガ用の土を掘り起こした後の窪地が執行場に充てられた。

基幹民兵は1時間前に現場に集合し、周囲数百mの範囲内は誰も入らないようにした。私たちは各々長い柄のついた農具を持って人垣を作り、その場で起こることの一部始終を注視していた。その恐怖の場面は、それは身の毛がよだつものだった。

公開裁判の後、警察車両と犯人を載せたトラックは、見せしめの引き回しを終えて現場に到着した。司法警察の手でトラックから引きずりおろされた死刑囚は、首から白い板をぶら下げていた。それには黒い文字でその罪状と名前が書かれており、その上に真っ赤なバツ印が付けられていた。死刑囚のズボンの裾は麻ひもでしっかりと結ばれており、重たい手かせ足かせはガチャンガチャンと、死刑囚の人生最後の歩みに音を添えていた。

護送されて来た死刑囚は、自分の名前が書かれた土の台の前に跪いた。今さら懺悔しても遅い。死に神のお迎えを待つしかない。もし、死刑囚を赦免するのが天の神さまの仕事なのだとしたら、法の役目は彼らを神さまのところへ送り届けることだ。

司法警察は周囲を威圧するように、死刑囚の背後に整列を完了していた。鉄兜、サングラス、白いマスクで顔を隠し、黒光りする自動小銃をしっかりと構えている。この厳粛な場面は水を打ったように静まり返り、死刑囚を心底震え上がらせる。

号令担当が赤旗を振ると、死刑囚の何倍も多い司法警察の隊列の中から不規則に何人かが前へ出た。真っ黒な銃口が死刑囚の後頭部を狙っている。

乾いた銃声と共に、死刑囚は目の前の死体を入れる袋の中に斃れた。

司法警察はさっと引き上げ、検視官が片手にピストルを持ち、もう片方の手に持ったカメラで撮影し、葬儀場の担当者が納棺を行った。

すべての工程はあっという間で2分くらいのものであったが、何十年経っても、あの場面の細部一つ一つははっきりと覚えている。それほど衝撃的だった。

私はかつてこのような場面を十回経験したが、その毎回が心の浄化と洗礼の過程だった。この文章を書いている今でも、ドキドキし、背筋に冷たいものが走る。これは私の生涯における教えとなった。

人は法を知らねばならず、法を守らなければならない。法は神を超える。法こそが生命なのである。