『社区』

「テーマが多ければ多く書き、少なければ少なく書き、書くことが無ければ書かない、私はこれを誠実に守っていく宗旨とする。」

これは19611030日、毛沢東によって『人民日報』社長に棚上げされた鄧拓(筆名:馬南邨)が『燕山夜話』第二集出版の巻頭に寄せた短文の一節です。夕刊紙『北京晩報』のコラムが好評で出版を重ねていた時期のことです。

米寿祝いのスタジアムジャンパーがお似合いの北基行先生から長年講読指導を受けています。講読会の現代文テキストに『燕山夜話』を毎月一話読み繋いで今月で67話目、と言うことは已に5年余りが過ぎたことになります。講読会の母体として先行してきた華人研は感染症のため休会が続きましたが。その間も講読会は継続しつつ、『燕山夜話』の第1集第1話からの原文・北先生の訳文・関係する画像・時代背景などの「ひとそえ」を華人研のHP www.kajinken.jp に月二回連載し、二つの会の安否確認のように発信してきました。

3月から華人研も定員制限や予防対策を遵守した上で再開できました。2年ぶりの再開は崑劇女優・崑劇研究家の登壇のお蔭で盛況でした。4月は奇しくも崑劇のふるさと崑山市で合弁企業を経営した方の報告です。大阪と製薬産業、アジア食品事情の話題も豊富ですが、福井の実家での農業との兼業ビジネスマンの生活と意見も楽しみです。 www.kajinken.jp を覗いて頂ければ幸いです。

3月には緒方八重さんをテーマに「多余的話」を書きました。

過去のことをほじくり返した印象を残したかも知れません。ただ鄧拓の言葉通り、書くことがなければ書かない姿勢に賛同しています。また、過去の時代のテーマが多いのですが懐古趣味は控え、なるべく現在につながることを意識しています。その意味で上海の歴史著述家の教授から、「多余的話、均已拝読、有意思的話題、具有現実意義」とかなり甘口の評点をいただいて、ルーキーが初ヒットを打ったように喜んでいます。 

或る弁護士からは無名氏の散文詩が届きました。西安や長春の感染者が増えた時、上海人はかなり辛辣に「地方」の管理の甘さを指摘していましたが、今になって上海も感染が拡大し、自慢の厳重な管理体制が崩れ、自尊心も傷ついたことを慨嘆しています。

また、長年の上海暮らしを続けている複数の方からも、団地毎にある「小区」の柵の中での生活、水道水を飲み水にする習慣が途絶えた人たちの生活をリアルに教えて貰いました。

国家の下での「単位」と呼ばれた末端管理組織が、街道弁事処・「社区」・居民委員会という形で変遷しています。疫禍までは関心の薄い存在だった気がします。

チャイナ・ウォッチャーのベテラン津上俊哉氏の近著『米中対立の先に待つもの』(日本経済新聞出版・20222月)は、「各論悲観・総論楽観」の繰り返しに飽きて(ご本人の弁)、控えてきた本の出版を久々に再開した力作です。まさにベテランが満を持して放ったホームラン。これにより氏の長打率はさらに高まった印象があります。

その一節、草の根大衆が習近平主席のコア支持者(第二章 急激な保守化・左傾化―転換点で何がおきたのか)に書かれている、「都市部における「街道弁」は、農村部における「村」と並んで、党と政府組織のピラミッド最底辺だ」の考察に注目しました。「街道弁」は「社区居民事務所」の上部機関とほぼ同義だと理解します。

これら最底辺の基層組織は、かつて一人っ子政策の推進者として住民に圧力を掛け、我々外国人の不行跡を「関所」で監視してきました。普段は普通の「大媽(おばさん)」達が、時に末端党員の意地を見せると怖くて、我が方にも落ち度や弱みがある場合には更に怖い存在に化しました。ロックダウンという非日常下で、日頃は目立たない党や行政の末端組織のマシーンがフル稼働して、検査実行・隔離徹底・食糧分配などに大活躍していることでしょう。

津上氏は、この草の根大衆のムーブメントについて、戦時下の日本の大日本国防婦人会や隣組を彷彿させると書いています。昨年来、NHK大阪放送局が、大阪港湾地区発祥の婦人会が先鋭化した背後に「家庭の隅に追いやられていた嫁たちの鬱積していたパワー」があることを浮き彫りにしたドキュメンタリーを製作しました。何度か見て、視野を拡げてもらったことと「社区大媽」に通じるものに気付きました。

氏は「トランプ前大統領のコアサポーターと一脈通じるところがあるのだ」とさらに鋭い指摘をしています。プワーホワイトと呼ばれる低所得白人労働者を描いた『ヒルビリーエレジー』を読んだ時、ボストンの工事現場でレッドネック(日焼け)の労働者を見かけた時の「繁栄する社会の隅に追いやられた者たちの鬱積した怒りとパワー」を思い出しました。

個人的にも 中国現地法人の職員の給与や賞与の査定をするときに、高額な家賃を負担して刻苦奮闘している他の省出身の「外地人」職員と、幾つかの高級マンションを所有して、給与より世間体と健康のために出勤しているらしい「本地人」職員の処遇に考え込んでいました。また教育機会を得ることを政治や経済環境が許さなかった時代と、大学卒業生が年に1,000万人を超える時代とでは、経歴比較の尺度が変わるでしょう。

金持ちになり損ね、教育機会を逃して、社会の隅で生活している人たちの層に習近平主席は支持基盤を発見した、という論旨を津上氏の著作に教わりました。

一方で35日の全人代での李克強首相による政府活動報告から「共同富裕」の文字が激減していて、振り子の揺り戻しも予感しています。政治的にも、経済成長の観点からも、「先富論」からは離れがたいのでしょうか?

「共同富裕」であろうと「先富論」であろうと、全ての根幹である食糧について、コメはほぼ自給自足です。トウモロコシの不足分の70%はウクライナに頼っている中国が、小麦や大豆に続いてトウモロコシも米国からの依存度を上げるなら、米中関係の振り子も微妙に揺れることでしょう。今の段階では食糧自給率を云々するほどのこともなさそうですが、振り子の揺れの範囲を知りつつ、振り子の現在位置がどこにあるのかを今後とも確認したいと思います。

 

井上邦久 2022年4月)