1995年10月に日本興業銀行(当時)上海支店の岡豊樹総務課長(現機構事務局長)に外灘を案内していただいて以来四半世紀余りの中国とのお付き合いとなります。興銀に1年間の居候の後、福井銀行上海事務所長、眼鏡メーカー中国グループ5社の総括責任者、繊維メーカー上海現地法人2社の総経理を経て、紆余曲折の末現在は大学で実務者教員として、中小企業の海外展開を専門領域の一つにしています。
「上海に住み授かりし“天地人”友諠の鼎永久に立てなん」
1999年2月に上海事務所を去る時の恥ずかしくも上海への惜別歌ですが、望外の喜びでまた5回目の中国との縁を手繰り寄せることができました。しかし、ここ最近の学生へのキャリア支援「シューカツ屋」に身を投じている間に、中国は劇的に想像を超えた変容を遂げていました。そして、リアルな中国に触れる矢先のコロナ禍となりました。
今回折角の機会を頂き、大先輩の前で甚だ恐縮ではありますが、一地方福井からの視座で、懐古趣味に浸ることを極力押しとどめ、駐在時とは隔世の感のある中国を稽古照今しつつ不易流行のエキス抽出を試みてみたいと思います。
前振りはここまでにして、まず第1回目は、一地方の福井と中国の関りについて書きたいと思います。
福井県の若狭地方は古くから大陸との玄関口として栄えてきました。福井県で中国との縁のある人物で必ず出てくる人が二人います。道元禅師と藤野厳九郎師です。
曹洞宗大本山永平寺の開祖道元禅師は、1224年から4年間、浙江省寧波の天童寺で修行をしました。また、浙江省紹興出身の魯迅の小説「藤野先生」のモデル仙台医学専門学校の藤野厳九郎師の出身は福井県芦原町(現あわら市)というご縁です。
今は北陸の名湯芦原温泉内に藤野厳九郎記念館があるので、コロナ収束後に是非ともお越しください。この二人はいずれも浙江省に関係しており、そのため福井県は浙江省(1989年)、あわら市は紹興市(1983年)と姉妹友好関係にあります。
この80年代の友好関係締結が起点となり、福井ではその後の経済交流から直接投資へ進みます。福井の代表的な産業である眼鏡枠産業は、80年代に日中友好の流れの中で、時の政治家や中国関係の学者が中国現地政府関係者との「関係」を構築し、そこからビジネスがスタートしています。
眼鏡枠の中国展開において、香港・広東省ルート、上海ルート、北京ルートがあり、少なくとも上海と北京ルートは日中友好が最初のきっかけです。
現在子供に大人気のレッサーパンダの国内有数の繁殖数を誇る鯖江市西山公園。1985年に初めて北京動物園からパンダが寄贈されました。当初はジャイアントパンダが来るものと勝手に勘違いしていたとの話もありますが、同じタイミングで当時の鯖江市長の肝いりで北京での第一号の日中眼鏡合弁会社の調印が行われました(1985年4月28日日刊福井新聞)。ここから日中の眼鏡に絡んだ様々な「光と陰の物語」が始まるのですが、今回はここまでとします。その後の浙江省との関係や眼鏡産業の中国展開については、また改めて紹介したいと思います。
福井大学 大橋祐之 (2021年6月)