北陸地域レポートを今回から担当させていただく春日野です。よろしくお願いいたします。私は、福井商工会議所に37年間勤務し、今春から福井大学大学院の実務家教員として着任しました。これまで地域企業のグローバル展開を間近で見聞してきた経験を活かし、レポートをお届けします。
さて、今から32年前の1994年7月。私は「福井県・浙江省経済交流促進機構」の事務局員として、中国浙江省杭州市で開催された第一回全体会議のために、県内経済界トップ・行政要人に随行し訪中しました。上海から杭州市まで路面の荒い高速道路をバスで2時間。市内に入ると、赤色回転灯を回しながら公安のパトカーが福井県訪問団のバスを先導。繁華街にある最大の商業施設「杭州解放路百貨店」では、外国人向けの兌換券で買い物をしました。会議そのものは、事前に確認した内容を読み上げるだけのセレモニーであり、中国の公式会議とはこういうものかと理解できました。
急激な円高、国内市場の縮小、人件費の高騰などの影響で、地方の中堅製造業でさえも海外に目を向けざるを得なかった時代。ただ、福井県と同様に繊維関連産業が盛んな浙江省と交流を深めるには、日中双方に「意味合い」が必要でした。福井県にある曹洞宗大本山永平寺の開祖・道元禅師が修行した場所が、現在の浙江省寧波市にある天童寺だったこと。浙江省紹興市の出身である魯迅が仙台医学専門学校(現:東北大学医学部)留学中に師事したのが、現在の福井県あわら市出身の藤野厳九郎であること。日中どちらが調べてきたのか分かりませんが、それらのエピソードは友好提携を進めるのに十分なものでした。
その後、福井県と浙江省の人的交流が官民レベルで拡大し、1995年に福井商工会議所は杭州市内に駐在員事務所を設置、職員と現地通訳が常駐しました。地方の商工会議所としては異例でした。浙江省内に福井県内企業の工業団地を造る計画も持ち上がりました。
かつて福井県の繊維や眼鏡産業にとって、中国は「進出先」であると同時に「コスト削減装置」でもありました。繊維では中国の縫製工場へ生地を供給し、眼鏡では福井で企画・開発、中国で量産という分業が広がっていたのです。しかし、この前提はすでに崩れています。最大の変化は、中国がもはや「安い国」ではなくなったことです。中国国家統計局によれば、都市部私営企業就業者の平均賃金は、2005年の年間約1.6万元から2023年には約6.8万元へ上昇し、浙江省など沿岸部では東南アジアを上回る水準に達しています。加えて中国企業の技術力も向上し、一般衣料や低価格帯の眼鏡などでは、日本企業が価格優位を保つことは困難です。
かつて福井県でも、中国からは縫製業などを中心に多数の研修生を受け入れてきましたが、その変化は労働者構成にも表れています。福井労働局のデータでは、2025年10月末時点の福井県内外国人労働者数は15,169人と過去最多を更新しましたが、中国籍は1,178人で、3年前と比較して16%減少し、主要国籍では唯一の減少となりました。一方、3年前比でミャンマーは360%増、インドネシアは195%増、ベトナムは36%増です。中国国内の賃金上昇により、中国人が日本へ働きに行く魅力が低下していることが、このデータからもうかがえます。
興味深いのは、中国との関係が弱まったわけではない点です。むしろ「中国で作る」より「中国で売る」ことが重視され始めています。その象徴が、国内眼鏡枠出荷額の93.5%を占める福井県の眼鏡産業です。低価格量産分野での競争激化を受け、福井企業は「日本製」「鯖江ブランド」「職人技術」での差別化へ軸足を移しています。鯖江市発祥の金子眼鏡は2023年に上海へ出店。2026年5月時点で中国5店舗・香港2店舗を展開しており、眼鏡に地域ブランドという付加価値を加えて販売しています。
中国は、かつての「安く作る場所」から、「競争相手」であり「高付加価値商品を販売する市場」へと変化しています。福井県内企業は、中国経済の変化に合わせて立ち位置を修正しています。規模こそ巨大ですが、中国はもはや東南アジアを含めたアジア全体の中の一市場・一拠点です。それでも切り離せる相手ではありません。福井県産業は中国との距離感を調整しながら、新たな国際分業の形を模索する段階に入っていると言えます。
次回からは、テーマごとに福井県における中国との関係をレポートしてまいります。
春日野 道治(2026年5月)
