【多余的話】『対の思想』

 雪の武蔵野の名刹でZ氏を見送ってから一ヵ月が過ぎた。
 その後、Z氏の盟友のY氏から連絡があり、遺族が亡父の足跡や時代を知るために、改めて中国を学ぶ本を紹介して欲しいと頼まれたとの由。
 Z氏やY氏の世代なら先ずオーウェン・ラティモアの『中国』だけど、今ならどんな本が良いか考えて欲しいという難しい依頼だ。今でも、否、中米が対峙する今こそ、『中国』(岩波新書)は両国の共通点を知り得るので、決して古びていないと考える。
 1970年前後には雑誌「中国」に竹内好が連載していた『中国を知るために』を希少な入門書として繰り返し読んだものだが、1972年の日中国交正常化以降は多くの解説書やハウツー本がどっさり出版されて呑み込まれた。
 中国ブームの中で加藤周一『中国往還』(中央公論社)が記憶に残っている。そのあとがきに「七一年には春に米国大統領の訪中計画が発表されたばかりでなく、秋に中国の国連における議席が回復された。そのことと関連して日本政府の無策は目にあまるものがあった。」とある。七一年秋、加藤氏は訪中団に加わり広州、北京、西安、延安を廻った印象を四編の文章に纏めている。読み直すと、半世紀以上前の世界がどんな状態だったか分かり、何が変り、何が変っていないかを知る事もできる。
 米国のディール政策はニクソン時代と変わらず、米中の「頭越し」外交は日本に「そんなはずではなかった?」の思いを今後も感じさせるだろう。50年前と決定的に異なるのは「大国主義は取らない」と言っていた中国が「大国」になった点に尽きる。
 Z氏のお師匠さんが加藤周一をとても大事にされていて渋谷さくら横丁に羊の像を設置された。Z氏は右腕となって尽力されたことを以前に書かせて貰った。「加藤周一・羊・さくら通り」でサイトを開くと壮年のZ氏やY氏がお師匠さん夫妻を囲む画像が出てくる。
 『中国往還』の「中国の屋根の反り」の一文に、中国の建築の特徴が列記されている。
(1)左右対称の徹底、
(2)全体から出発し、それを細分化して、部分に到る
(3)材料はその生地を貴ばない、木の材料の表面を厚く塗り、絢爛多彩、緑・赤・青・金色の配合が人の眼を奪う。

 2月のTAS(華人研)では中国語学・教育の碩学に中国語に見られる「対」の発想や習慣について話していただいた。左右対称の徹底も一例であり、対句・対聯の事例も豊富であった。小括として中国だけの語学面(発音の特質)での特徴を示唆された。
 駒田信二の『対の思想』も視野に入れた講演準備をされていたことを後で知ったが、テーマの大きさと時間の少なさのため持ち越しになった。それ以降、「対の思想」を折に触れて考えるようになった。
 
 2月23日、三浦半島の中ほど、京急富岡駅から徒歩15分の長昌寺での「南国忌」に赴いた。
 芥川龍之介賞と直木三十五賞は「対」の位置づけで同時発表される。文芸春秋を創業した時の同人の双璧であるが現在、直木三十五の顔を思い浮かべる人は少ない。しかし大正14年、勧進元菊池寛の名で「文芸春秋執筆回数番付」(これも対の発想)が作られ、直木三十五は西の正横綱、芥川龍之介は東の正横綱で・・・その後に「芥川賞」や「直木賞」を創設したのは、単なる思いつきや気まぐれではなく(菊池寛は)「二人の貢献度を数値として頭に刻みこんでいたに違いない・・・」と角川文庫『南国太平記』の解説に北上次郎が書いている。
 「南国忌」では重里徹也氏による記念講演があり、大分県中津市の菩提寺、赤壁の合元寺の話題が語られ驚いた。直後に、直木の墓前でカメラのシャッター役を頼まれたご縁の流れで、闊達なお二人の刀自と駅まで歩いた。「駅弁も楽しいでしょうが、金沢八景あたりで夕食をご一緒しましょうよ」と直木賞小説のような成り行きとなり鎌倉在住の文人画家とその妹分との楽しい時間を過ごした。
長く創作活動を続けられるなかで、人生において出来ることと出来ない事を見極めたようなお二人。その関係も「対」の呼吸と配慮に裏打ちされていると拝察した。

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井上 邦彦(2026年3月)