五月の風が吹き始めた頃、佐賀在住の好角家から夏場所の番付を届けて貰った。いつも初日前に律儀に届けていただく番付から色々なことを発見するのが楽しみとなっている。
番付には横綱・大関・関脇・小結・前頭という地位の次に出身地(県名・国名)が書かれ、次に醜名(しこな・四股名)の順となる。
モンゴル出身力士が多くなって久しいが現在は東横綱の豊昇龍(立浪)から序二段61枚目の天狼星(錣山)まで計20名の大勢力。関脇の霧島(音羽山)、前頭の玉鷲(片男波)らの上位力士以外にも、幕下十枚目以内(好成績であれば十両昇進となり、給金や個室・付け人もあてがわれる。番付の文字も太くなり虫眼鏡は要らない)にモンゴル出身力士が5名も犇いている。ちなみに中国出身の力士は十両の大青山(荒汐)一人。ただ彼も内モンゴル自治区のフフホト出身、本名はアスハダ。彼が所属する荒汐部屋の親方は、現役時代に蒼国来の名で前頭二枚目まで昇進した。内モンゴル自治区赤峰市出身。日本国籍を取得したが本名はエンクー・トプシンのまま。
モンゴル出身力士の話題は豊富だが、今回はモンゴル出身に次いで、二番目に多いウクライナ出身力士に注目したい。
前頭9枚目に昇進した安青錦(安治川)、先輩格の前頭11枚目の獅司(雷)はともにレスリングの基礎を活かした前に落ちない相撲が特長。安青錦は国際相撲大会で注目された直後に戦争の影響を被ったが、関西大学相撲部の受け入れで来日。その後に安治川部屋の研修生になった経緯もあり、関心度も高く、将来性も大きいと思う。
…ウクライナの問題はすごく遠くで起こっているように思えるけど、たとえば大鵬の父がウクライナ出身であるように、日本の歴史にはウクライナが深くからんでいて、それは私たちの日常からいくらでも見えてくるはずだ…という黒川創氏の言葉を読んだ。(歴史家の藤原辰史氏との対談『いま「この星」のどこかで』・「新潮」2025年3月号より)大横綱大鵬(納谷幸喜)が戦前の樺太(サハリン)でウクライナ将校の子として生まれたことは、大鵬がスピード出世をして、新入幕連勝をした頃に「少年サンデー」で読んだ気がする。
上の対談の副題は、小説『この星のソウル』をめぐってとあり、漢城→京城→ソウルと首都の名前を変えた、開国(させられた)以来の歴史を男女が街歩きしながら考えていく小説であった。
時はソウル五輪(88=パルパルオリンピック)の後。主人公はソウルの歴史・文学に焦点を絞ったムック(MOOK)本を自ら企画し執筆しようとするフリーライター。現地取材に当たって出版社が在日コリアン留学生を通訳と道案内に手配したという物語の設定。
主人公の京都での少年時代(朴正煕大統領を狙撃した文世光事件の頃)在日朝鮮人は身近にあった。長じてから主人公は閔妃暗殺と伊藤博文暗殺の二つの現場に居合わせた古澤幸吉の孫の編集者から『古澤幸吉自叙伝』などの資料発刊についての相談を受ける立場となり、パンソリ放浪芸人を題材にした映画『風の丘を越えて/西便制』の反響に時代の変化を感じるような感性を身に着けている。
1852年11月3日生まれの明治天皇と李氏朝鮮最後の国王高祖が同年であること。続いて、大院君、閔妃、三浦梧楼、金玉均、中島敦、尹東柱、金達寿、全斗煥、尹潽善、李承晩そして咸錫憲…次々に鍵となる人名が現れ、それぞれの生き方を描写することで時間が綾織りにされていく。
韓国の中学生向け国定歴史教科書(明石書店版)を読んでも分かりにくかった歴史の縫い目を小説『この星のソウル』から知ることが多かった。黒川氏は対談や取材で次のように語っている。
…現代史って、どうしても、そういうふうに、遅ればせにしか見えてこない側面がある。つまり局外者によって固定化されがちな「正義」の観点は、かえって現実に対する視野を曇らせてしまうことがありますね。僕たちは、そのことを意識に置いておく必要がある。…(『新潮』2025年3月号172頁)
…資料を丹念に当たり、過去と現在を往来し、朝鮮と日本の激動の150年を、抑制をきかせた筆致でたどる。…とくに1910年の日韓併合までの時代を掘り下げた。「教科書を読んでもわからなかったから自分を納得させるために書いた」…「一般論や『正義』に寄りかからず、自分の足で立って歴史をみることが大事だと思う。」(朝日新聞(夕刊)2025年4月10日「一語一会」)
「三学期の歴史の授業は慌ただしくて、現代史は習っていない」から知らないと聴くことがある。
黒川創氏の著作で朝鮮半島との交流史の骨格を知ることにより、慌ただしかった三学期の弁明をせずに済みそうだ。
国技館では「満員御礼」が続いている。
前頭筆頭の王鵬幸之介(大嶽)、新十両の夢道鵬幸成(大嶽)の兄弟も祖父大鵬幸喜の取り口に徐々に近づいている気がする。
王鵬のふとした表情や夢道鵬の柔らかい動きに祖父を偲び、更に曾祖父のスラブの風を感じてしまう。
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