季節の変化を感じる写真と短いメッセージをほぼ毎日のように送ってくれる友人がいる。自宅前に広がる明石海峡や散歩道の草花の画像から友人の平穏な様子が伝わり、穏やかな心持にしてもらっている。8月7日、メッセージを開くと「和平・健康・感謝、立秋 雨」とあり、久しぶりの雨とともに季節の移ろいを感じさせてくれた。
川口華商(1920年頃から大戦まで大阪市西区川口を拠点として大陸貿易の中核を担った山東系の貿易商)をルーツにもつ友人は、夏は父祖の地の煙台で過ごすことが多かった。季節に応じて神戸と山東半島を往還する羨ましい生活習慣にも変化があり、今年の立秋は神戸の月を眺めていたようだ。
続いて朝刊を開くと『春秋』も予想通り立秋がテーマであった。藤原敏行の「秋来ぬと」の歌から書き起こし、永井荷風の『断腸亭日乗』に記された虫の音にふれ、正岡子規の「今どきの立秋は早すぎるので15日くらい繰り延べすべき」との説を引用していた。
筆者の大島三緒編集委員は定番の引用羅列で終わらせず、人が季節感を失うことの怖さに警鐘を鳴らして締めている。新聞の素顔といえる文章を二十年に亘り、一人で書き続ける持続力もすごいが、文章の一貫性と緩むことのない責任感に敬意の念を懐いている。
8月11日、大島氏は社会面の「昭和史スケッチブック」連載の先頭に立ち『忘れられた「玉音放送」』と題して、5分間の聞き取りにくい「玉音」のあとに、32分半に及ぶNHK和田信賢アナウンサーによる「玉音の通訳」が放送されたことを記事にしている。
昨年の熱中症による救急搬送に懲りて、早い時期から夏の対策や避難作戦を考えてきた。そんな時に「彼の地では立秋のあとは秋ですよ」という魅力的な言葉で旅に誘ってくれる人が居た。色々と逡巡しても詮無いので、高原の旅に連れて行ってもらうことに決めた。そして立秋の日の午後、事務局から航空券控え等の渡航書類一式が届いた。出発は立秋から15日後の8月22日の早朝であることを再確認した。
春の終わりからすでに暑かったので、ゆっくり涼める場所として映画館を選び、封切りからしばらく日数が過ぎた中国映画の二作品を観た。勝手な予想に反してどちらの上映もほぼ満席であり、浅い想像よりも遙かに深い味わいの余韻が残った。
① 『不虚此行 All Ears』 邦題「来し方行く末」
北京電影学院の大学院を卒業してからも、思うような創作活動ができず、自分の生き方に戸惑いを感じている四十歳くらいの独身男性。弔辞や追悼文の代書を生業とし、北京の外れに棲んでいる。丁寧な「取材」と推敲を重ねる「文章」への評判は高く、「注文」が続いている。葬儀場を主な立ち回り先とすることで、過去を共有する人たちを避けているつもりだが、学院の恩師は主人公の逼塞を知っていて、「脚本」の仕事を斡旋しようとする。しかし主人公は曖昧な対応しかできない。「取材」の過程で依頼主(故人の親族・共同経営者・余命覚悟の婦人ら)から家庭や社会の襞や覚悟を知らされる。そんな静かな生活は甘粛省天水から上京した女性による「弔辞」クレームの衝撃で混乱する。天水名物の林檎のような素朴な女性は、故人とネットで結ばれ、共同創作のパートナーでもあった。実像を掴み切れないまま亡くした恋人への「弔辞」に主観的な思いを盛り込むように要求する。その過程を通じて、離人症気味だった主人公は迷路から社会への出口を見つけたかのように、他者と「コミット」する方向へ踏み出す。室内での足踏み健康用具の場面から、蒼天の下で路上を疾走する自転車のシーンに画面が転換して終わる。
② 『風流一代 Caught By The Tides』 邦題「新世紀ロマンティクス」
2001年の山西省大同。炭鉱の街は民営化政策とWTO加盟の影響の下で澱み、煤けた失職者の街として描かれる。その大同で青春を謳歌しているつもりだった男と女。男は一旗揚げようとして大同から突然消える。男を追いかける女の旅は、三峡ダム建設の長江沿岸から更に南下して経済開発区建設の珠海へと続く。旅は長く、頼りなく、切ない。途中で暗示される男の仕事は闇社会とのグレーゾーンを際どく擦り抜ける場面や初期のITビジネスに入り込もうとして壁にぶつかる場面などが散発的に描かれるがよく分からない。
2022年、失意の男は脚を引き摺りながら大同に戻る。大同は高層ビルが林立する都会に変貌していた。ロボットの案内人を置いているような高級商場に職を得て、レジを打っていた女に再会する。劇的な修羅場は描かれないまま、その日の仕事を終えた女はロッカーで着替え、こざっぱりしたジョギング姿で女友達の集団と街を疾走する。走り出す前に女が発する掛け声は『喝!』と聞こえた気がする。
生命感に満ちた疾走と生活力を感じさせる女の表情から、漂泊疲れした男が圧倒されて置いてきぼりにされる予感を残して終わる。
二作品に共通する背景は、2001年から現在までの新世紀中国の大変化である。その時代の中核を担ったのは「80后(パーリンホウ)」と称される1980年以降生まれの世代である。成長の波に乗り切れなかったり、変化に翻弄されたりした側の人物の生き方に焦点を当て、うまく行かなかった彼らを通して、見る側にも同じ歳月を思い起こさせる手法も共通する。
「80后」の親世代は1960年前後の「喰うに困る時代」がやっと小康を得た頃に生まれたベビーブーマーであり、教育・就業・結婚などの過当競争に放り込まれ、政治的な混乱・経済改革・一人っ子政策などに晒され、現在は定年延長の波に直面する。
親世代の辛苦のお陰で「80后」世代は両親・祖父母の6人の庇護の下の小皇帝と称され、「喰うに困らない」育ちをし、新しい消費文化の主体として喧伝されたこともあった。
ともに「80后」世代の監督やスタッフによる二つの作品は、時代の変化や成功の機会を眼前にしながらも、巧く機会を活かしきれない人たちの存在を考えさせてくれる。そして、長い試行錯誤の時間と体験を経て、市井に生活する人たちがようやく変化に巻き込まれるだけでなく、自らの身の丈にあった生き方を見つけていく姿を知らされる。最終シーンがどちらの作品とも自力の疾走であることも暗示的だ。
たまたまミニシアターで『不虚此行』を再び観る機会があり、少しだけ理解が深まった気がするが、「来し方行く末」と邦訳する意図はまだ掴めきれない。ただ二作品を通じて1970年代から中国に接してきた自分自身の「来し方」を考えるよい機会になった。しかし自分の「行く末」はまだ分からないし、考えたくもない。
「行く末」を考える機会になるかどうかは分からないが、中国黄土高原への渡航準備を少しずつ続けている。
日程表には、立秋から15日後の8月22日昼前に北京に到着、空港から張家口市へバスで直行し、夕方までに張家口市蔚県の宿舎へ投宿、翌日から蔚県をベースキャンプにして、「緑と地球のネットワーク(GEN)」の植林現場や関係先を訪ねる予定とある。軍手や汚れても構わない作業着や靴、朝晩の冷え込みに備えた秋物の衣類を準備するようにと注意書きにある。次に1992年からGENが始めた緑化活動の拠点だった大同市へ移動して見学と交流をすることになっている。映画『風流一代』で描かれた商場の案内ロボットの見学や集団疾走するご婦人たちとの交流ができるだろうか?大同市での三日目の朝に高速列車で北京へ移動し、問題が無ければ当日の午後便で帰国予定。北京は素通りになるはずだ。
準備の第一として、甲子園球場での高校野球観戦を断念して体力と気力を温存している。
また数カ月前から体調整備をして定期健診で改善データを得た。市民検診でも同様の結果。毎年8月が決まりの再発予防のための癌検診も術後10年目となり今回で終了。
『燕山夜話』講読会を欠席するので、早めに課題を提出したが、集中力を欠いた試訳は散々だった。今回は北京市燕山区を掠めることは無いだろうし、夜話を聴く時間はない。
続いて市立図書館の読書会も欠席するため簡単なメモを世話役仲間に届けることにした。
カフカの『変身』の次は『落日燃ゆ』(城山三郎)。8月は戦争関連の作品が選ばれ、これまで『出発は遂に訪れず』(島尾敏雄)や『ガラスのうさぎ』(高木敏子)等を読んできた。
外相・首相時代に戦争を止めなかった罪(不作為の罪?)に問われ、軍人以外で一人だけ絞首刑となった広田弘毅の一生を追った長編小説であり、7月のカフカに続いて不条理な世界を背景にしている。城山三郎の作品から抽出したメモの一部を引用すると、
※広田外相・首相の「協和外交」や和平工作を白眼視し、敵対し、足を引っ張ったのは、
(1)軍部 (2)「名門」(皇室・近衛・木戸・牧野・吉田等)
(3)世論・社会風潮・・・(3)は振幅が大きく、最も怖く、掴みどころがない
広田弘毅の足を引っ張った勢力が独断膨張した地域の拠点となったのが張家口であった。その土地の一端に80年の時を隔てて踏み込むことに深い感慨がある。
短い旅の間に何かを知り得るかどうかは分からない。「彼の地では立秋のあとは秋」という言葉で渡航のキッカケを作ってくれたGENの皆さんの猫の手代わりには為れなくても、足を引っ張らぬように気を付け、脚を引き摺ずって置いてきぼりにされないようにしたい。
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