NHKのドキュメンタリー番組『映像の世紀』が進化を続けている。
番組初期の頃、高校生だった娘がオリジナルの歴史画像と加古隆のテーマ曲と山根基世アナウンサーの抑制された語りに強いインパクトを感じていたことを思い出す。最近ある教授から著名な有識者が「この番組だけは欠かさず観ている」と語ったと聴いて同感した。
6月の特集は近隣地域の近代と日本に焦点を絞っていた。
「移民」がテーマとなることも多い。日本→旧満州→国内開拓地→中南米等→?と続く移民・棄民の画像を見ながら、山田洋二監督の『家族』を思い起こした。長崎の炭鉱から北海道の開拓村へ移住する家族が、日本列島を横断し縦断する移動途中、大阪万博会場で右往左往するシーンが印象的だった。1970年の国内移民を描くロードムービーである。
大連で山田監督の回顧談を聴いたことがある、父親が満鉄技術者として働いた大連での生活環境は敗戦までは恵まれていたようで、『アカシアの大連』の世界に重なる。その後、一家は大連から山口県宇部へ引揚者という名の移民生活に一転し、親戚宅に寄生している。それらの実体験が『家族』に投影され、『男はつらいよ』シリーズに通底する漂泊感や離人感に繋がる気がする。
第一次大戦のあと、欧州からアメリカへの移民を描いた小説『失踪者』の書き出しは、
女中に誘惑され、その女中に子供ができてしまった。そこで十七歳のカール・ロスマンは貧しい両親の手でアメリカへやられた。速度を落としてニューヨーク港に入って行く船の甲板に立ち、おりから急に輝きはじめた陽光をあびながら、彼は自由の女神像を見つめていた。・・・
無駄のない言葉遣いで小説の背景、主人公の境遇が描かれている。この書き出しの数行で一気に引きこまれた。
このフランツ・カフカの小説『Der Verschollene』は長く『アメリカ』という題で全集にも収められていたが、その後にドイツ語原題の『失踪者』(池内紀訳、2006年白水社)として出版された。カフカは創作ノート・日記・書簡などをシオニストの親友作家に託し、死後に廃棄するように依頼したらしい。親友が約束を違え、補筆・編集を施し、公表した経緯は複雑であり、善し悪しは分からない。しかしアメリカ社会の形成過程や各地からの移民をテーマにした作品を100年後に手にできるのは、カフカとその親友と多くの研究者のお陰だと感謝したい。
上陸早々に、成功者である「アメリカの伯父さん」に遭遇し、その庇護により上昇志向のレールに乗ったと思った頃の会話は印象的;
「夢のような話ですね」「こちらではなにしろ、おそろしく事が速くすすむ」
伯父は会話を打ち切るようにそう言った。
しかし、自己主張というギアの掛け違えにより伯父の不興を買い、トランクと傘だけで
「誰も自分を待ってなどいないのだ。ただのひとりも、あきらかに待ってはいない。カールはあてもなく方向をきめて、歩き出した。」
直後に巡り合ったその日暮らしのアイルランド移民とフランス移民の二人組との腐れ縁を軸に話は展開する。途中、間延びしてから、地方選挙のお祭り騒ぎに「うっとり」し、隣家の学生からアメリカの選挙の裏側を知らされ、冷や水を注がれた気分になる。
グレゴール・ザムザはある朝けったいな夢から目が覚めてみたら、ベッドん中で馬鹿でかい虫に変わっている自分に気がついた。(『大阪弁で読む「変身」』西田岳峰訳(幻冬舎)より)
『変身』の有名な書き出しはわざわざ大阪弁にしなくても蠱惑的である。
地元図書館の読書会の7月の課題が『変身』なので、図書館で色々と漁っている内に『アメリカ・失踪者』に行きついてカフカ沼にハマってしまった。この沼は深そうなので怖いが、若い頃に素通りしていて良かったかもしれない。
一面で生真面目そして気難しいドイツ系移民の主人公は、アメリカの合理主義の気忙しさに翻弄されながら西へ西へと楽園を目指して疾走・失踪していくのだろう。自由の女神が微笑むか、はたまた審判や判決を下すかについては書かれていない。
カールとほぼ同時代、岡山市の人力車夫の家に生まれた国吉康雄は、アメリカへの移民の波の中でシアトルからカリフォルニアへ移住した。画才を認められニューヨークで美術を学んでいる。帰化制度の改悪、結婚相手の白人女性の米国籍剥奪などの抑圧のなかで、美術教育界・美術家団体の指導者としての地歩を固めた。
以前からの個人的な印象として国吉康雄の画には「(燻)くすみ」を感じていた。今回、神戸県立美術館での「藤田嗣治x国吉康雄~二人のパラレル・キャリア―百年目の再会~」を観て、美形白人を描く藤田嗣治の作品との対比を意識した展示構成のせいか、「燻」の印象が更に増した。併せて留学とは異なる移民として、アメリカで「失踪者」にならず、独り絵筆で道を開いていった国吉康雄の逞しさや屈折を感じた。
第二次大戦期には、帰国して戦争記録画を制作した藤田、アメリカに留まり敵性外国人として反日本軍国主義活動をした国吉。戦後のフランスで国籍を取得した藤田、アメリカ美術界での称賛を獲てもアメリカ国籍取得はならなかった国吉・・・作品内容とは異なる二人の社会的な対比についつい眼が向きがちであった。この展覧会はNHK「新日曜美術館」で、高橋秀治氏(豊田市美術館長)と林洋子兵庫県美術館長の解説とともに放映された。国吉康雄について発見紹介する啓発の為の視点が多かった。
もう一度、海沿いにある兵庫県立美術館の広く涼しい空間を訪れ、知識と情報から少し離れて、ユニバーサルな作品世界に浸りたい。そのあとに出来れば冷たいカフカの沼にも浸り、そこから移民国家としてのアメリカ、そして日本の今を考えたい。
雲の峰アンチカフカの日は遠く(拙)
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