【多余的話】『slow boat to China』

 上海からの友人の土産として「雲南・古村紅茶」とともに11月1日付けの「環球時報」を貰った。タブロイド判の同紙は日本のメディアが時々センセーショナルな記事を選んで報道することで知られている。
 「環球時報」GLOBAL TIMESのタイトルの下に「人民日報社主管、主辨」と明記され、「承辨」「協辨」などの緩やかな提携関係とは異なり、人民日報社の全面コントロール下の出版社であることが分る。日本通の友人は「日本でいえば夕刊フジかな?」と笑いながら例えたことがある。夕刊フジは本年の初めに惜しまれつつ廃刊となったが「環球時報」は人民日報社の別動隊として健在のようだ。
 11月1日付け紙面で目を惹くのは4・5面の「這些未来産業如何助力中国下一个五年?」(これらの未来産業は中国の次の五年を如何に助けるか?)の特集記事であった。
 秋の会議で第15次五カ年計画の素案が「建議」され、来春開催予定の全人代で正式決定される。注目の「建議」に関する記事には未来産業の代表として、人工知能・ロボット・生物製造・量子科学技術・第六代移動通信(6G)が掲がっていた。内容は抽象的であり、数字目標などは未だ書かれていない。
 この未来産業のラインアップを見ながら、2015年5月に発せられた「製造強国2025」を思い出した。「製造大国」から「製造強国」への転換を目標として出された当初は、その目的は理解できても、ファイティングポーズが顕著で宣伝臭が強かった。海外からの不評や批判もあり、米中摩擦の火種にもなった。そして主導者と目された李克強首相の離任・逝去もあって、徐々に「製造強国2025」の旗印は目立たなくなったと思う。
 今年はその「製造2025」計画の最終年度に当たる。この10年間の奮闘努力の成果に対して欧米からの評価は低くないようだ。脅威に繋がるが、事実として認めざるをえないのだろう。電気自動車、造船、創薬、グリーンエネルギーなど農業分野を除いて成功した事例は多い。旗印は目立たずとも、実質的な成果は顕著と言えそうだ。声高に成果をアピールするより、坦々と産業構造の変革を続けている姿勢の方に「強み」と不気味さを感じる。
 その「強み」の上に、来年以降は未来産業の成長がどう繋がるかに注目していきたい。
 大国とか強国と自ら言挙げせず、粛々と実力と素質を高めていく姿勢が続く間は着実な進化が想像される気がする。
 他方、中国の「弱み」については多くの日本のメディアが指摘しているので、言わずもがな(多余的話)であるが、「強み」と「弱み」のバランスの悪さ(歪さ)は何故うまれるのだろうか?そして、これからどのように調整していくのだろうか?
 少子化、三農問題、米中貿易戦争、若年頭脳流出・・・「弱み」の一つ一つを分析することは大切だが、それらに共通する基盤要因や歴史的背景についても考えていきたい。
 年明け早々のTAS(華人研)例会では、中国の「弱さ」と「強さ」について、信頼する講師に存分に語っていただけそうなので楽しみにしている。
 茨木市立図書館読書会には五ヶ年計画はなく。毎年年末に翌年4月からの課題図書12冊を参加者からのアンケートを基に世話人が取りまとめる方式を採っている。8月度に戦争に関係する図書を選ぶ以外にジャンルの縛りはない。ただ、市内外の図書館を総動員して同じ課題図書を会員用に10冊以上確保できることが量的な制限と言える。
 この読書会が前世紀末に編集した記録誌『円居(まどい)』(1)を眺めるのは楽しい。
 第一回(1976年6月25日)『雪国』、第二回(同7月22日)『天平の甍』とある。
 茨木に生まれ、旧制茨木中学校卒業の川端康成、戦中・戦後に茨木に住んで大阪の毎日新聞社に通っていた井上靖、地元ゆかりの作家の代表作からスタートしている。
 第三回(同8月27日)は井伏鱒二の『黒い雨』が続く。原爆投下にまつわる作品が選ばれていることで、その後の8月に戦争関係の図書を選ぶ習わしの始めになっている。
 第1回から数えて23年間、計227冊で一区切りをつけて作成した記録誌『円居』(1)の編集後記には、「これは会員ひとりひとりの時間の蓄積なのだと思う」とある。その後新しい世紀となり既に25年の時間の蓄積が加わっている。前世紀末から継続して参加されている会員から温故知新のコメントを貰いながら、新参者の「若手」も未来を考える企画を立てて「円居」の場を活性化できれば幸いだ。
 読書会に参加することにより、偏り気味な本の選擇を補正してくれる、読了すべき時間配分を意識させてくれる、色んな人が様々な見方を語ってくれる、本棚に眠っていた本を甦らせてくれる、今更「知りません」と言いにくい本に触れる機会をくれる、折々の流行りの作品や作家を教えてくれるといった多くの恩恵を感じている。
 何よりも、図書館が課題本を揃えてくれて、貸出期間が1カ月と長いのもありがたい。当然ながら会場費も含めて無料であり、市の広報でも案内をしてくれる。
 反面、系統だったテーマを継続的に追いかけていない、課題図書の選擇が安定調和的になりがち、といった問題意識から方針転換の提案もあったようだが実現していない。
以上、津々浦々で今日も開かれているだろう読書会の一例の内輪話を綴らせてもらった。

 まだ暑い盛りの9月第四金曜日の課題図書は『中国行きのスロウボート』(村上春樹)だった。前年末アンケート用紙に忍ばせて、世話人会で9月に割り振ってもらった。酷暑の頃には負担の軽い短編が楽だろう、ノーベル文学賞が話題になる時期でもあるだろう、という理屈も伝えた。個人的には、安西水丸の描く中公文庫版の表紙の絵が涼やかなので、身近に置いて、少しでも精神的な「避暑」をしようという思いもあった。
 村上春樹は1979年『風の歌を聴け』で群像新人賞を受賞して注目された。次の長編が待たれるなかで発表された文章を集めて短編集『中国行きのスロウボート』が1983年5月に出版され、1986年1月に早くも文庫本化されている。1978年8月に日中平和友好条約が締結され、友好ブームの時代とこれらの短編の執筆時期が重なるのは偶然ではないだろう。
 『中国行きのスロウボート』は主人公が小学生の頃の神戸、東京の大学時代のアルバイト先、そして東京で社会人になってからの三つの時期に遭った中国人を回想する話である。
日本の街で個別に三人の中国人に遭った。ただそれだけの話。三人ともすれ違いのような形でその後の付合いは全くない。しかし作者の心に深く刻まれている。それで小説として成り立っている。中国との距離感の描写が印象に残り、今回何度目かの読み直しをした。
 主人公は小学六年生、模擬試験の会場に割り振られたのが「中国人学校」、試験の監督教師が初めて遭った中国人。新築校舎は「ずっと垢抜けさえしていた」、その教師は「まるで中国人には見えなかった」。彼は試験開始までの時間、緊張している日本人小学生に向かって、机を汚してはいけない、月曜日に登校する中国人生徒に悪印象を与えてはいけない、誇りを持ちなさい、と「演説」をした。
 神戸には学校法人「中華同文学校」が山手町にある。1899年、反清朝活動家の梁啓超が亡命先の神戸の華僑に対して学校創設を「建議」、翌1900年に開校し、初代校長は犬養毅。1939年、広東系の学校を統一した。1945年神戸大空襲により焼失。戦後、神戸市立大開小学校での間借り時代を経て、1959年に新校舎が落成し、学校法人として認可された。
 1949年生まれの村上春樹が1960年頃に模擬試験を受けた校舎は、まさに新築の垢抜けたものであったろうし、建設の為の華僑父兄による資金協力や自力更生の努力は並大抵のものでは無かったと思う。その学校に自負と責任を感じる教師の訓話が「演説」となり、日本と中国の歴史と教育への思いが「机を汚すな」の言葉に表れたのだろう。春樹少年は中華同文学校の沿革を知るはずもなく、過去にこの小説を読んだ時の私も知らなかった。
 主人公がすれ違った二人目、三人目の中国人の話も、一人目と同様にどこか奇妙な心のズレ(隔たり)を感じさせる。そしてそれが『中国行のスロウボート』というタイトルに収斂されていることに気付く。
 「on a slow boat to China」は米国のヒットソングであり、ソニー・ロリンズの演奏でも有名だ。このフレーズは、遠い処(China)へ小船で行くこと→とても時間がかかること→途方もない隔たり、という慣用句として使われているらしい。
 LAからではなくNY或いはBostonからChinaへの小船での航海に譬えられるような隔たりは、今も米国と中国の間に有るのかも知れないし、無くなっているかも知れない。
文庫本を買って、表紙をこれ見よがしに職場の机の上に置いていたら、通り掛った英語好きの上司が安西水丸の画には関心を寄せず、この題名は米国の古い歌だよと、冒頭の歌詞を軽く歌ってくれたことがある。
 中国や米国を分ろうとする努力を続ける時に、この曲の軽みの要素も必要かも知れない。
その上司はスコッチウィスキーが好きで、会社を辞めてから好みのシングルモルトの輸入販売の仕事で訪れたスコットランドやアイラ島の話をしてくれた。
 米中・日中の難しい議論をする前に、スモーキーな酒の故郷と村上春樹の新作(その頃はたしか『ノルウェイの森』)の話をしよう、と前置きをした元上司は、飲み始めると話の羅針盤はスコットランドからアジアには戻らなかった。
 その方も神戸に御縁があった。ずいぶん前に亡くなったが、今も英語の歌とともにその人を懐かしく思い起こす。この何年もの間にChinaへの距離感は縮まっただろうか?

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