(東南アジア地域レポート)【タイビジネスにおける「生成AI導入」が急務である理由と成功の3ステップ】

 タイ市場において、日系企業が直面する経営課題は年々深刻化している。人件費の高騰(最低賃金の継続的な上昇)や競争の激化、そして既存業務における「生産性の壁」である。これらの課題を打破し、競争優位性を確立するゲームチェンジャーとして、生成AIの導入が急務となっている。タイ電子取引開発機構(ETDA)の調査によれば、タイの組織の7割以上が効率化や収益向上を目的に、すでに生成AIを導入済み、または導入を計画している。今の生成AIは単なる支援ツールではなく、速度や正確性の面で人間を凌駕しつつあり、ビジネスを根本から変革する「戦略的必須事項」となっている。日系企業が意思決定を躊躇している間にも、タイの現地企業や先進企業はすでに生成AIを活用し、圧倒的な成果を上げている。特筆すべきタイ国内の3つのユースケースを紹介する。

 第一に、マーケティング領域における圧倒的な効率化と売上向上である。AnyMind Groupは、ミネラルウォーター「Evian」のライブコマースにおいて、人間の代わりに「AIアバター」を導入した。ピークタイムは人間、オフピークはAIが担当するハイブリッド運用により、1日20時間を超える連続ライブ配信を実現した。これにより、1時間あたりの配信コストを90%削減しつつ、売上を従来比で3.5倍以上に引き上げている。

 第二に、金融領域における新たな顧客体験の創出である。SCB銀行は、小口融資サービス「マニー・タンジャイ」の審査プロセスにAIを導入した。従来は約1週間かかり多数の書類提出が必要だった審査を、AIによる口座取引データの自動分析とスコアリングで代替した。これにより収入証明書などが不要となり、わずか10分以内で顧客のリスクに応じた限度額や金利などの審査結果が判明するようになった。

 第三に、バックオフィス領域における膨大な作業の劇的な自動化である。タイ法制委員会(OCS)は、MicrosoftのAzure OpenAIを活用し、7万件以上のタイの法律とOECDの法的文書を比較・翻訳するシステム「TH2OECD」を構築した。手作業であれば7〜10年かかると想定されていた膨大な翻訳業務を、わずか6ヶ月で完了できる体制を整え、法務手続きの圧倒的な効率化を実現した。

 このようにAIは強力な武器となるが、タイならではの留意点も存在する。タイにはEUのGDPRに近い厳格な個人情報保護法(PDPA)があり、違反リスクへの配慮が不可欠である。また、王室や仏教といった文化的・法的に敏感なトピックへの配慮や、AIへの指示(プロンプト)において「文末に『ครับ/ค่ะ(クラップ / カー)』を付ける」といった、タイの商習慣に合わせた丁寧な表現設定も重要となる。

 「とりあえず導入したものの使われない」といった失敗を防ぎ、確実な成果を生み出すためには、次の3ステップでの段階的な推進が求められる。

ステップ1:スモールスタート(特定課題からの着手)
 いきなり全社展開するのではなく、「何のために」「どの業務を」改善したいのかを明確にし、特定の業務や部門での小規模な試験導入から始める。初期の成功体験を創出し、具体的なビジネス効果(ROI)を可視化することが重要である。

ステップ2:業務への組み込み(ローカライズとシステム連携)
 初期検証を終えたら、既存システムや自社固有のデータとAPI連携し、業務プロセス全体を再設計する。この段階で、先述のタイ特有の文化への配慮や、AIのハルシネーション(幻覚)を防ぐための人間によるファクトチェックの仕組みを運用ルールに組み込む。

ステップ3:全社展開と継続的な改善
 AI推進に向けた責任部門を設置し、全従業員がAIを活用できるよう研修や実践的トレーニングを実施する。定期的な効果測定とフィードバック収集を行い、改善サイクルを回し続けることが、組織への定着の鍵となる。

 コスト削減や生産性向上だけでなく、タイ市場のスピード感や特有の文化に合わせた価値を提供するためには、生成AIの活用が欠かせない。生成AIの導入は、単なるITツールの導入ではなく、タイ市場で生き残り、持続的な成長を実現するための「経営変革」そのものである。その成功のために必要なのは、失敗を恐れず小さな挑戦を許容し、現地の状況に合わせた運用ルールを構築する、日本本社および現地経営層の強いコミットメントである。

香月 義嗣(2026年3月)