タイ市場において、長らく強固な地位を築いてきた日系企業だが、近年その優位性が揺らいでいる。中国企業の台頭、ローカル企業の成長、そして市場ニーズの変化。本記事では、日系企業がタイにおいて直面している構造的な課題と、それを打破するための「経営の現地化」の実践的手法について解説する。
迫りくる「市場」と「競合」の変化を受け、在タイ日系企業の「経営の現地化」は待ったなしの状況と言える。かつて日系企業が強みとしてきた「高品質・高価格」モデルは、現在のタイ市場において通用しづらくなっている。背景には2つの大きな変化がある。一つ目は、市場の変化であるが、約70%のタイ人消費者が「価格」を最優先事項としているとのデータもあり、日系企業が得意とする長期的な品質や信頼性よりも、目前のコストパフォーマンスが重視される傾向にある。二つ目に、競合の変化であるが、低価格を武器にする中国企業や、急成長する現地企業が台頭しており、これらは価格競争力だけでなく、市場の変化に即応するスピードも兼ね備えている。
こうした変化に対し、多くの日系企業が後れを取っている最大の要因が「日本人駐在員への過度な依存」と「意思決定の遅れ」である。在タイ日系企業のタイ人管理職比率は約33%に留まっており、他の外資系企業の約65%と比較して著しく低い水準にある。重要な意思決定権限が日本人駐在員に集中し、さらに日本本社への確認プロセス(いわゆる「持ち帰り文化」)が常態化しているため、商機を逃すケースが見られる。中国系企業との価格差が20〜40%に開く中、迅速な判断ができない体制は致命的である。
「現地化が必要なのは理解しているが、うまくいかない」と悩む企業は少なくない。多くの企業が陥る失敗には、典型的な3つのパターンがある。① 責任なき権限移譲(丸投げ):「任せる」と言いつつ、十分な監督やサポートを行わず、結果だけを求めるパターン。失敗すると「やはりタイ人には任せられない」という結論になりがちである。② 権限なき責任付与:責任あるポストにつけるものの、実質的な決定権(予算や人事など)を与えないパターン。日本人の承認が都度必要なため、現地の当事者意識が育たない。③ 見えない壁:言語や文化の違いにより、重要な情報共有が日本人の間だけで行われ、タイ人幹部が疎外感を感じて離職につながる。この現地化が失敗する根本原因は、「仕組み(権限移譲の制度設計)」と「育成(スキル教育)」が連動していない点にある。
では、どのように現地化を進めるべきか。成功の鍵は、次の3つのステップを連動させ、段階的に進めることにある。
ステップ1は、権限移譲のフレームワーク導入である。いきなり全てを任せるのではなく、会社の成長段階(新興期・成長期・成熟期)に合わせて段階的に権限を移譲する。 例えば、予算・財務承認について、初期は経費処理レベルから始め、成熟期には損益責任や運転資本の管理まで委譲するなど、明確なロードマップを描くことが重要である。
ステップ2は、経営人材の育成(「実行部隊」からの脱却)である。単に業務をこなす「マネージャー」から、戦略を描ける「経営人材」へと引き上げる育成が必要である。具体的には次のスキル強化が特に求められる。戦略立案スキル: 市場・競合分析を行い、自社の勝ち筋を描く力。 分析・意思決定スキル: データに基づき、リスクを評価して迅速に判断する力。部下育成・コーチング: タイ人スタッフの強みを引き出し、組織力を高める力。
ステップ3は、成功体験の共有と評価制度である。育成した人材が実際に戦略を立案し、経営層へプレゼンする場を設ける。承認された計画を実行し、その結果を正当に評価・報酬に反映させることで、当事者意識と「自分たちで会社を変えられる」という自信を醸成する。
未来の勝ち筋は「現地」から生まれる。「価格」だけで中国企業やローカル企業と戦うのは困難である。しかしながら、「スピード」と「市場理解(ローカルインサイト)」を武器にすれば、勝てる戦いは必ずあるはずである。経営の現地化は、単なるコスト削減策ではなく、タイ市場で生き残り、持続的な成長を実現するための「必須要件」とも言える。その成功のために必要なのは、日本人駐在員とタイ人幹部の双方が変わることである。そして何より、日本本社経営層の強いコミットメントが不可欠である。失敗を許容し、権限を渡し、現地と共に汗をかく覚悟が、より強固な組織基盤を築く第一歩となる。
香月 義嗣(2026年1月)
