『中国人の世界観と価値観:その起源と形成 ―「中国再考」読後感―』

本年もよろしくお願いします。

年明け早々、やや堅苦しいテーマで恐縮です。というのは、この正月に読書に耽り、その中の1冊をぜひご紹介したい思いがあり、このテーマにした訳です。

歴史学者で復旦大学の教授でもある、葛兆光先生の『(完本)中国再考』(岩波現代文庫、2021年11月)を読んで、深い感銘を受けました。今更ながらお恥ずかしいことですが、いつか中国人の価値観がどのように形成されてきたか体系的に理解しようという思いは以前からずっとありました。本屋でたまたま見つけて、すぐに買って一気に読み終えました。この日本語版はいわゆる原作からの翻訳ではなく、先生の講義や講演、また他の著書から編纂されたものです。

この『中国再考』は、古代中国の「天下観」はいかに現代中国の「世界観」へと転換したのか、伝統的な中国の「領域」はいかに現代中国の「国境」となることができたのか、また、いわゆる「中国文化」とは歴史の中でいかに形成されたのか、という構成で、前記のように、現代中国人の価値観(その形成と現状)を体系的に理解するには非常に役に立つものと強く感じています。それでは、勝手ながら私なりの抜粋と考察を以下のように述べてみます。

まず、世界観の形成です。古代の中国人(漢魏まで)にとって「世界」は仏教用語であって、日常の用語ではなかったようです。古代中国人がずっと使っていたのは「天下」という言葉で、つまり天の下に広がる「世界」なのです。

その天下とはどのような「世界」なのか。いまの中国語でもよく使う「九州大地」という表現があります。つまり、九つの州からなる天下が中国人の世界なのです。以下の略図をご覧下さい。上から時計回りに、九州とは、冀州、兗(えん)州、青州、徐州、揚州、荊(けい)州、豫(よ)州、梁州、雍(よう)州を指します。現在の地名に置き換えると(注:歴史の変遷等、完全イコールではない)、河北、山東、江蘇、湖北、湖南、河南、四川、陝西、山西となります。葛先生の言葉を借りると、「たったこれだけの地域が古代中国人の『天下』であった」ということです。 

 


また、この九州大地の「外」は何かというと、「東夷・西戎・南蛮・北狄」という中華文明の外、つまり未開、または野蛮の世界です。ここにもう一つ重要な点があり、上記のように東西南北の表現から既にお気付きだと思いますが、中国古来の「天圓地方」という宇宙観につながるということです。

 

 

 北京・天壇公園「祈年殿」

古代中国人は「天は丸く、地は方形」というふうに信じており、想像の中では天は半球形の笠のように大地を覆い、その中心には北極と北斗星があります。大地は碁盤のような四角形で、その中心が現在の洛陽一帯です。ちょっとした幾何学の知識があれば、この「丸い」天で「四角形」の地を覆うのは無理があると気付くのですが、古代中国人はこのような矛盾があってもなおこの概念を信じてきました。その理由は単純です。それが「天」に対する直感的な観測と「地」に対する想像的推測に一致するからです。昼間の太陽、夜の月や星を観察すると、全て東から西へ、あるいは右から左へと北方の「軸」を中心に回転しています。まさに天は「笠」のような形ではないか、という結論に至りました。

しかし、ご存知の通り、コロンブスの新大陸発見(1492年)やマゼランの世界一周(1519~1522年)により、ヨーロッパ人(西洋人)は世界に関する知識体系の中でついに完全な球形の世界像を完成させました。その後、イタリア出身の宣教師であるマテオ・リッチ(Matteo Ricci利馬竇、1552~1610年)の作成した漢訳版世界地図「坤輿万国全図」が1602年(明・万暦帝時期)に北京で刊行され、当時の中国人の世界観に大きな影響を与えたと言われています。

古代中国人が久しく抱いてきた自己中心的な「天下」観は、この地図の影響を受けて徐々に「無処非中」(世界で中心でないところがない)の「万国」に変わり、今風で言えば「グローバル化」の萌芽というような意識になったのではないでしょうか。

ところで、前記1602年から清朝末期のアヘン戦争(1840~42年)や甲午戦争(1895年日清戦争)までの240年余りの間に、「天圓地方」の天下観から「地球は丸く、どこも中心になり得る」という世界観に変わったかというと、残念ながら根本的に変わっていなかったと言えます。もちろん、アヘン戦争や甲午戦争は中国人にとって屈辱の歴史であり、決して是認することはできません。言いたいのはこの天下観の限界から、世界に対する認識が不十分となり、「山外有山」(上には上がある)の如く、中華文明以外にも文明が存在することが認識できなかったということです。

次に、価値観の形成、つまり中国文化の「核心」となるものについて考察してみたいと思います。『中国再考』の論述や葛先生の講演(Youtubeなどから簡単に視聴できる)で、中国文化を定義するには、「中国文化の特有で、他の文化にはない」ものでなければならないと力説されていることが印象深いです。これまでの中国文化に関する定義には、「包容的」や「平和主義」など抽象的な表現が多い一方、他の文化との違いが見られないと、先生は鋭く指摘されています。

では、中国文化とは何か。葛先生は、その主流である漢民族文化と定義付けた上で、以下の5点を挙げられました。

第一、漢字の読み書きと漢字を用いた思考。

第二、儒家思想。個人の行動から家族倫理、国家に関わる政治制度まで、その根幹となるもの。

第三、「三教合一(儒仏道)」の信仰世界。中国では伝統的に「儒家は世を治め、仏教は心を治め、道教は身を治める」と言い、儒仏道は共存、補完し合う関係です。

第四、宇宙を理解し解釈する「天地合一」思想、陰陽五行説、およびこの学説に基づく知識、観念、技術があります。

第五、「天圓地方」の影響を受けて形成された天下観、およびこのような天下観から生まれた世界のイメージ。こうしたイメージが古代中国における朝貢体制を基礎とする国際秩序を形成したとされます。

  

 

漢字の起源:甲骨文字

なるほど!思わず絶賛したくなる解釈ではないでしょうか。不勉強の小生だけの感想かもしれませんが、これまで読んできた中国文化に関する解釈の中に、最も説得力のある解釈ですね。

そこで、現代の中国文化に関しては、先生が挙げられた5点の中で残っているものと残っていないものは何でしょうか。やや乱暴な見方ですが、まず、第一(漢字の使用と思考)が残っている一方、第四と第五は残っていないと言って良いと思います。確かに、第四の「陰陽五行説」を信じる中国人はいるものの、極めて少数で、社会システムへの影響はほとんどありません。

悩ましいのは、第二と第三です。周知の通り、清王朝が約110年前に滅亡、その後、中華民国を経て、いまの中華人民共和国に至りました。中国は20世紀から21世紀にわたって、様々な「〇〇主義」を経験してきました。現在もなお模索していると言えます。私事で恐縮ですが、自分の幼少期は文革時代、高校からは改革開放、大学卒業後は海外留学ブームと、激動の時代を体験し、時には社会が180度の転換を目の当たりにしてきました。時々、自分はいったい「ナニ主義者なのか?」と自問しますが、答えに窮してしまいます。

もっとも、いまのZ世代から見れば、こんな細やかな心配は杞憂に過ぎないのではないでしょうか。グローバル化の大波の中、多くの若者は市場競争の中に必死に生きています。eメールやスマホなどを駆使して仕事をしていたり、スターバックスを利用したり、ユニクロで買い物したり、漫画アニメや韓流ドラマを楽しんだり、また、夕方に重慶火鍋を堪能した後、夜になるとカラオケボックスで熱唱してストレスを発散するなど、ここまで来たら、もう中国も日本も韓国も区別が付かなくなります。

結局のところ、いまの「より開かれた世界を」というのは時代の流れに合っているのではないかと思います。150年前、日本の「明治維新」や中国の「洋務運動」は西洋化を前面に出した変革でしたが、いまの開かれた世界は東西融合の流れではないでしょうか。どれがどれを吸収するのではなく、共に築き合うという方向性になるのでしょう。

  

 

春節の様子:赤色に包まれるお祝いの街(筆者撮影:成都市内)

 

 雷海涛(2022年1月)