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自動車産業の歴史
2000年の中国の自動車生産台数は、初めて200万台を超えた。生産台数では世界 第8位であり自動車生産大国と言っても過言ではない。しかし現在国内には100社を
超える自動車メーカーが乱立しており、1社あたりの生産台数は世界の自動車メーカー と比較すると極めて少なく、「規模の経済」が成り立っていない。この背景には過去の自動車産業政策、地域主義・地方保護主義の影響があり、現在まで負の遺産として残っている。
1980年代初めから積極的に外資導入を行ない、90年代初めに三大三小政策(三つの大メーカー、三つの小メーカーの育成)の形ができた。中国は外資導入を通して先端技術の導入、経営管理ノウハウを吸収する政策を明確にした。90年初めから三大三小メーカー以外の外資に対しては門戸を閉ざしていたが、90年代後半から新たな外資の参入が相次ぎ、自動車産業は転機を迎えた。
自動車市場と産業政策の動向
2000年の自動車販売は、対前年度比114%の209万台と初めて200万を超えた。特にバスは、高速道路、一般道路の敷設拡大に伴なう都市間交通の手段として大幅に販売を伸ばしているのが特徴である。乗用車も前年比107%と堅調な販売が続いている。最近、輸入車に対抗できる国産乗用車が相次いで市場に投入されており、従来輸入乗用車が主流であった高級・中級乗用車市場において国産車のプレゼンスが急速に高まっているのが販売好調の要因である。
中国政府は2001年6月、今後の産業政策の指針となる「自動車工業第十次五ヵ年計画」を発表した。この政策の中で2005年の自動車の生産目標を310万台、うち乗用車を110万台とした。部品産業についてはABS、エアバックなどのハイテク製品の育成を重点目標に掲げている。
WTO加盟と自動車産業への影響
WTO加盟で最も影響を受ける産業の一つが自動車産業と言われている。WTO加盟により、従来自動車産業を保護していた高関税、輸入数量制限措置が徐々に消失する。近い将来、中国の自動車業界は産業構造の改善、自動車メーカー、部品メーカーの再編を余儀なくされる。一方で競争に勝ち抜いた自動車メーカー、特に部品メーカーは競争力を増し、国際的な分業体制に参画するようになると見られる。
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1.中国自動車産業の歴史
(1)乱立する自動車メーカー
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| 出所:日本自動車工業会ホームページ |
【2000年国別メーカー別自動車生産台数】
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国
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メーカー
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生産台数
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| 米国 |
ゼネラルモータース(GM) |
422万台
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| 日本 |
トヨタ自動車 |
411万台
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| ドイツ |
VWグル-プ |
201万台
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| フランス |
ルノー |
146万台
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| 韓国 |
現代自動車 |
153万台
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| 中国 |
上海フォルクスワーゲン |
22万台
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| 出所:トヨタ自動車ホームページより日中投資促進機構作成 |
2000年の中国の自動車生産台数は初めて200万台を超え、生産台数では世界第8位の位置を占めており、自動車生産大国と言っても過言ではない。しかしながら実態は、最大メーカーである上海フォルクスワーゲン(VW)の年産22万台から年産数台程度というメーカーまで渾然一体となっているのが現状である。中国自動車産業の特徴は100社を超える自動車メーカーと2000社以上の部品メーカーが乱立している状況にあり、WTO加盟を目前に控えている中で、自動車メーカーと部品メーカーの整理、再編こそが中国自動車産業の最大の課題と言える。以下に現在の産業構造を形作ってきた自動車産業の歴史を簡単に検証しておこう。
中国自動車産業の歴史は、1956年旧ソ連の援助を受けて設立された第一汽車製造廠の国産トラック「解放」でその産声をあげた。その後北京、瀋陽、上海、済南などの自動車工場が設立され、文化大革命期の1969年には第二汽車廠(現在の東風汽車)が設立された。その後も地方政府の地域自前主義が自動車組立工場、部品工場建設に拍車をかけた。また、軍需関係等の国有機関が独自に自動車産業に参入してきたことも乱立の大きな原因でもある。自動車メーカーが過度に分散していることから個々の企業の生産規模
が小さくなり、本来「規模の経済」の代表である 自動車産業が、そのメリットを得ていない不自然かつ非効率な構造が形作られ、今日まで続いている。勿論、中国政府も過去、自動車産業の整頓を行い、集団化政策を進めてきたが、地方主義
の壁に阻まれたことや、政府主導の整理、統合に自動車メーカーが反発したことから、大 きな成果を得ることが出来なかった。
(2)三大三小政策
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【三大三小二微メーカー】
| メーカー |
設立 |
外資 |
形態 |
| 三大メーカー |
| 一汽VW |
1990年 |
VW |
合弁 |
| 上海VW |
1984年 |
VW |
合弁 |
| 神龍汽車 |
1992年 |
シトロエン |
合弁 |
| 三小メーカー |
| 北京ジープ |
1983年 |
AMC |
合弁 |
| 広州プジョー |
1985年 |
プジョー |
合弁 |
| 天津汽車 |
1984年 |
ダイハツ |
技供 |
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| 長安鈴木 |
1993年 |
スズキ |
合弁 |
| 貴州航天 |
1992年 |
富士重工 |
技供 |
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自動車産業は、1980年代に外資との提携で大きな転機を迎えた。83年北京汽車とA MC (現ダイムラークライスラー)による初の自動車合弁会社北京ジープが設立された。翌84
年上海汽車と独フォルクスワーゲンとの合弁による上海VWの設立、85年広州汽車と仏プジョーとの合弁会社広州プジョーが設立された。
このように中国は、80年代から乗用車生産に本 格的に取り組みはじめた。乗用車プロジェクト は後に三大三小政策と呼ばれるようになった。
これは、三つの大・小プロジェクトを総称した
もので90年代にはスズキと長安汽車との合弁 会社長安鈴木、富士重工が技術供与した貴州航 天が二微メーカー(微とは中国で微型車両、日本の軽自動車に相当)として追加された。中国
政府は、外資との提携を通して先端技術の導入、 経営管理ノウハウを吸収する意図を明確にし、 三大三小メーカーを乗用車メーカーとして重点的に育成、発展させる政策を採った。三大三小メーカーへの保護・発展政策は、勢い他の外資の参入を阻む政策となり、乗用車プロジェクトへの参入は、暫く門戸が閉ざされることになった。
(3)「自動車工業産業政策」の功罪
中国政府は1994年7月「自動車工業産業政策」を公布した。この政策は、2010年までに自動車産業を支柱産業にするという目標を掲げ、[1]過度に分散する自動車メーカーの整理・統合、[2]経済的な適正生産規模拡大への支持、[3]基盤の弱い部品産業の育成等、従来の自動車産業が抱えている問題を改善し、国際競争力を持つ産業に育成することを狙った政策であった。政策の公布後、中央政府の指導もあり、自動車メーカーの集団化が促進されてきた。かねてより「分散、乱立低水準、緩慢な発展」と批判されてきた産業構造は、大量生産体制を確立したメーカーの優位が発揮され、第一汽車集団、上海汽車集団、東風汽車集団などの上位メーカーによる下位メーカーの吸収合併など一応の成果があった。しかし今なお、中央政府がコメントしている通り、整理・統合にはほど遠いのが現状である。また、外国メーカーにとっては、従来、常に政府機関の内部でのみ使用され、外国メーカーに公にされてこなかった自動車産業の政策が、初めて対外公開されたこと自体、価値のあるものであった。この「自動車工業産業政策」公布後、日本を含む外国自動車メーカーは、折からの中国投資ブームと相まって中国への進出を加速させていった。
中国政府は、「自動車工業産業政策」の中で自動車の量産体制の実現を掲げ、生産規模と販売台数を拡大した企業を支持するとした。例を挙げると、「年間の自動車生産台数が30万台以上の規模で、年間販売20万台以上に達し、年間の技術開発費が売上高の3%を用いているものに対して国家は年産規模60万台以上を目標として発展することを支援する」(「自動車工業産業政策」第10条)というもので、量的な拡大を次ぎの発展への条件とした。この政策は勢い自動車メーカーを需要と乖離した生産拡大指向に走らせる一因になった。本来、自動車工業の発展、モータリゼーションの促進には、製造をサポートする政策に加えて、販売・消費を後押しする諸施策が不可欠である。今日では「自動車工業産業政策」は、販売・消費面での諸施策が欠落していたとの認識から、自動車の潜在需要掘り起こしのための政策を現在、策定中と言われている。
90年代後半は、中国が新たな外資を導入した時期であった。97年米国ゼネラルモータース(GM)と上海汽車は合弁会社上海ゼネラルモータース(GM)を設立した。98年本田技研工業と広州汽車が合弁で広州本田汽車を設立。2000年6月にはトヨタと天津汽車が天津トヨタ汽車を設立し、2002年後半から小型乗用車の生産、販売を開始する。また、韓国、欧州、米国(フォード)の自動車メーカーも現地生産の地歩を固めつつある。90年代初から暫く外資に門戸を閉ざしていた乗用車プロジェクトは、新規外資の参入が相次ぎ、新たな段階を迎えつつある。
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